プロローグ
第一章 未来の跡形
第二章 終末アバンチュール
第三章 Everlasting Gazer
第四章 エンドゲイザー
エピローグ
プロローグ
私、三島 由宇(ミシマ ユウ)に新たに下された命令は、渋谷シェルターの警備巡回だった。
渋谷は過去に数回隕石が落下し、数は多くはないもののシェルター周辺に結晶体が跋扈している区である。
私含め、渋谷シェルターの警備を任せられたキーパーは五名。危機的な状況ではなく、渋谷周辺の巡回も兼ねて一週間ほど渋谷を警備し結晶体を掃討するというものだ。
「三島ぁ。もう出るのか?」
背後から聞こえたのは、私がキーパーの中でも敬意を払う男性の声。
「中西さんは待機ですか?」
「ガードナーが出るときは緊急事態だからな。俺たちは働かないほうがいいんだよ」
「中西さん達は関東地方の人々の安全を守られている精鋭部隊ではないですか」
「……市民にもそう思われてるなら嬉しいがな……ところで場所はどこだ?」
「渋谷シェルターです。結晶体の個体数は少ないわけではないですし、気を付けて参ります」
「渋谷……二年前の神泉地区の災害の時に行ったきりだな。当時は本当に地獄だったからましになっていれば良いのだが」
中西さんは電子手帳を手に取ると、何かを調べ始める。
「……緊急ではないが、安全とはいかない結晶体の個体数だ。確かに一度掃討しておいたほうがいいのだろうな」
「お任せください。私ももう二年目です。結晶体との戦いも慣れました。ガードナーには及ばないにしろ、しっかりとやり遂げて来ます」
「まあ、死なねえ程度にやれよ」
そう言いながら中西さんはため息をつく。この諦めたようなため息は、彼の癖らしい。
中西 康二(ナカニシ コウジ)さん。この道十年のベテランのキーパーであり、キーパーの中でも前線部隊、ガードナーの立場にある。私自身も非常に世話になっている方だ。
性格はぶっきらぼうで生真面目一辺倒。口は上手ではないけれど気遣いと優しさも持ち合わせた方だ。キーパーになる前も防衛大学校の学生だったらしい。
十数年前、日本を含む世界中に透明なクリスタルのような飛来物が落下した。
地球の大気圏外から飛来したそれは大気圏突入時に空中で破裂し、日本の各地に落下した。
私が住んでいた東京もその被害に遭い、文化物は破壊され、人が築き上げてきた文明も破壊された。
物質も人も動植物も、その飛来物が落下した周辺数百メートルが結晶と化す。
私たちはそれを「結晶化」と呼んでいる。
過去、クリスタルの飛来した衝撃に巻き込まれた人間は透明な結晶と化す。
神話のメデューサが持っていた石化能力。それに近いのかもしれない。そんな嘘のような本当の話が、この世界では当たり前の状況になってしまったのだ。
だがその飛来物の恐ろしさはそれだけではない。
飛来物周辺から未確認生命体が繁殖し人を襲うようになったのだ。
大きさでいうと一メートル弱、蜘蛛のような形状をした透明色の化け物。今では「結晶体」と呼ばれる化け物だ。
何を食料にしているかはまだ詳しくは分かってはいないが、奴らは人間を認識すると襲ってくる。鋭い脚先を武器にして刺突するのが奴らの攻撃手段だ。
結晶体の攻撃を受けると、創傷が結晶化していく。そして、結晶化が完全に進むと像のようにその場で結晶と化すのだ。
飛来する前だったらまるでSF映画のような、ありそうで決して現実に無かった話に、人間は終末を一歩を進もうとしている。
それを掃討するのが、私たちキーパーの役割。
結晶体には、包丁のような刃物で刺したり切ったり、鈍器で殴打することは何のダメージにもならない。
この世にある、唯一結晶体を破壊できる武器「エンドゲイザー」を用いて、文明が破壊された地球に生き残る人々を守るのが、私たちキーパーの役割だ。エンドゲイザーは基本的に銃の形をしたものを用いるが、同じ素材で作られた警棒も持ち合わせており、接戦の場合はそれを使用することもある。
通常人間は結晶体に襲われたり、結晶の飛来に巻き込まれたら結晶化する。だが私やコウジさん含め、キーパーに選ばれる者は結晶化にある程度の耐性がある。
実際私も、結晶体の攻撃を受けたら怪我はするものの結晶化することはない。もちろん体を刺突されるようなことがあれば命を落とすわけだが。
また、構造はよく分からないがエンドゲイザーも結晶化の仕組みを利用しているそうで、結晶化に耐性がある者しかエンドゲイザーを扱うことができない。
幸か不幸か私の父も私も結晶化への耐性が高かった。また、エンドゲイザーが開発され、生き残った人間たちにはキーパーの適性検査が行われたが、私も父も高いスコアを取った。
先にキーパーとして採用されたのは当時自衛官でもあった父で、当時まだ未成年だった私は成人になってからキーパーの道を通ることになった。
……まあ、私がキーパーになる少し前、父は中国地方の結晶体掃討の際に命を落としたのだが。
「キーパーは命の危険と隣り合わせだ。俺たちは結晶化に耐性はあるにしろ体を刺されたなんてあれば出血で簡単に死んじまうし、お前の親父だって自分の後を辿って欲しくねえだろうからな」
「分かっています。無茶はするけど命を差し出すようなことはしませんから」
「……まあ、差し出さなきゃいけねえ職業だからな。だからこそ、死なねえ程度にやれよ」
眉間にしわを寄せてため息を吐く彼を安心させるよう、私はできるだけ精いっぱいの笑顔を見せた。
第一章 未来の跡形
渋谷に降り立ちシェルターを巡回していた最中のこと。名前こそ聞き取れはしなかったが、住民から渋谷シェルターの住民がいないという噂話を聞いた私は、噂話の中に出ていた場所、神泉地区を訪れた。
思ったよりも時間はかからず探し人は見つかった。
彼女の目の前には1メートルほどの蜘蛛のような水晶色の化け物がいた。
結晶体。この世界が滅びの一途をたどることになった災厄。
「っ伏せてください!!」
私はリュックの中に潜ませていたハンドガンタイプの武器……エンドゲイザーを構えた。
化け物に向けて照準を構え、そのまま引き金を引いた。
乾いた破裂音とともに、蒼い光線が空気を裂く。それは照準の先の化け物の体を叩いた。
その瞬間、化け物の体は輪郭を失い、細かい光の粒子になって宙を舞った。
「っ大丈夫ですか!?」
風がなく漂う光の粒子をかき分け、私は彼女のもとに走る。彼女はぺたんを尻もちをついていた。まるで今起きた出来事が夢であったかのようにぽかんとしている。
「立てますか?」
私が手を差し出すと、はっとしたように目を見開く。
「さ、触んないで!!」
急に声をあげたからか発せられた声は少しかすれていて、見た目は……中学生か高校生だろうか、年相応の可愛らしい高めの声をしている。
「……渋谷シェルターから抜け出したという人はあなたですか?」
私がそう呟くと、その少女はじろりと私のことを睨みつける。
「……何、あんた、キーパーなの?」
残暑が残る季節に、少し汚れた長袖のTシャツ、長いジーパンを身にまとった、むすりとした表情の女の子。肩にかかるくらいの髪を降ろし黒いキャップを被っている、あどけなさの残る少女だった。
「……あー、えーっと」
「銃持ってて目の前で結晶体ぶっ壊しておいて今更隠せなくない? キーパーが渋谷にいるってことは、渋谷、また危ないの?」
「いえ、そういうわけではなく、哨戒のために来ています。渋谷は何回か結晶の被害に遭ってますから」
「ふうん、もしかしてあんた、キーパーっていうのがわかんないように来てるわけ? キーパーがそんな薄汚れた服装を常に着てるとは思えないし」
「……そうですね。キーパーが普通に歩いてたらこの地区は危ないんじゃないかと思わせますし」
「そりゃそうね」
「ところであなた、なんでこんなところにいるんですか!? ここはシェルター外ですが」
「……あー、あーすみませんすみませーん。反省してまーす」
「反省とかじゃなくて、一般人がシェルター外にいることは原則禁止ですし、特に神泉地区は荒れている地区です。今すぐ戻りましょう。保護者はシェルターですか?」
「ここあたしの家だし、お母さんもお父さんももういない」
そう呟いた少女を見た瞬間、私は思わず息を飲んだ。
Tシャツの下から、人間味のある肌色ではなく、ちらりと透明の固いしこりのような部分が見えた。
結晶病。
飛来した結晶の塊に直接巻き込まれたり、結晶体の攻撃を受けると人間の体はじわじわと結晶に蝕まれていく。
渋谷の神泉地区は二年前に結晶の飛来物の被害をもろに受けた場所でもあるし、彼女も直接被害を受けた人間なのだろう。
私が一瞬固まったのを見て、彼女は呆れたようにため息をつく。
「……別に親がいないなんてこのご時世当たり前じゃない? キーパーみたいな身分の人は考えも箱入りになるわけ?」
「……いえ、すみません。ところであなたはなぜこんなところに?」
「さっき言ったけど、ここがあたしの家なの。家の様子見れる人、もうあたししかいないし、家の心配なんて当たり前にするでしょう」
「しかしここにいると危険です。分布を調べたらまだ結晶体が近くにいます。私がついていきますから帰りませんか?」
「……まあ、今日はもう帰ろうと思ってたとこだし、大人しく従う」
「私、三島 由宇といいます。あなたは?」
「……藤沢 亜都理」
「アトリさんですね、よろしくお願いします」
私は、彼女に右手を差し出す。
彼女は少し躊躇った後、私の差し出した手を握らず踵を返した。
「触んないほうがいいよ」
そう言いながら彼女はつかつかと歩いていく。
「……アトリさんの結晶病はニ年前からですか?」
アトリさんは一抹の沈黙の後に、静かに口を開く。
「……あの時は学校にいて……先生から学校にそのままいるように言われたんだけど、親が心配でこっそり学校を抜け出して家に戻ったの。……学校、近いわけじゃないからめっちゃ時間かかったけど、道路の青看板見てなんとか渋谷駅まで行ってさ。ようやっとで帰れたと思ったら家の周りに結晶体がいて襲われた。もろにくらったわけじゃないんだけど徐々に結晶化は進行してる。当時の私、全然結晶体のことなんて分かんなかったから、こんなに体が人間離れしていくなんてね。……今は半分諦めてるけど」
そうぽつりぽつりと話す彼女に、思考を巡らせてもうまい言葉が出てこない。
「……そう、ですか」
やっとひねり出した言葉は、そんな他愛もないものだった。
*
「アトリ! またお前はいなくなって……! 大騒ぎだったんだからな!」
アトリさんは多少バツが悪いのか、私の後ろに半分ほど体を隠しながら歩いていた。
「キーパーがお忍びで来ているという噂も出ているんだ、今は大人しくしてなさい」
「キーパー、ねえ……」
そう呟きながら、アトリさんは私のほうを一瞥する。
「ところであなた、見ない顔ですね」
「あ、すみません。私はササキと言います。青葉台のほうの小シェルターにいたんですが、大きなシェルターのほうに親戚がいると噂で聞いて……朝から歩いていたんですがその時にアトリさんにお会いしまして……アトリさんは渋谷シェルターに普段いるということだったので案内をお願いできないか頼んだんです」
身元ごと嘘をつくのは少し心苦しいが、私がキーパーであることは公にしないほうがいい。おそらく目の前のこの男性は、キーパーという存在をよく思っていない。
キーパーはこの世界の災厄に立ち向かうことができる唯一無二の存在でもあるが、災厄が多すぎるこの世界において、助けられない命だってある。一般人から見れば、助けられたであろう命を見逃してしまっていることだってあるのだろう。
キーパーとして新卒で働くことになった直後だっただろうか。立川シェルターで心無い言葉をかけられたことがあった。
自分たちより良い身分で、食うもの飲むものにも困らない。綺麗な服を身に着けて、我が物顔でいるお偉いさんだと。
働いたばかりの私は、なんて心無い言葉なんだと憤ったこともあったが……二年経った今では、少しばかり飲み込めた面もある。
目の前にいる男性から意識を少しばかり話していると、彼は私に向かって指をさす。
正確には私の抱えているバックパックだ。
「それには何が入っている」
「……非常食であったりとか、服であったりとかですが」
「中身、いったん見せてもらおうか。あなたのことはこのシェルターで見たことがない。怪しい者であったら困るからな」
「構いません」
*
「……あんた、肝座りすぎてない?」
渋谷シェルターの路地裏に入ると、アトリさんは私の顔を見て訝し気な目線を向けた。
「そうですか?」
「そのリュックの中に、あの物騒な銃入ってたんでしょ? それなのに躊躇いもなくリュックの中見せるって……肝座ってるなあって思った」
「こんなに大きいリュックを持っていたら絶対にそっちに目が行きますし、リュックの中くらいは見られるかと思って銃はもともと懐の見えにくいほうに隠しておきました。いやあ、バレなくて良かったです。内心はひやひやしていました」
「策士だね……」
「シェルター忍び込みの時につく方便は慣れていますから。それよりありがとうございます。私がキーパーだということ、先ほどの方に黙っていてくれて」
「まあ……助けてくれた人だし。あんたも仕事で来ているだろうしさ。邪魔する気はないよ」
「……あ、他の人には私のことは」
「分かってるよ、黙っとく。あたしも問題児だし、今より余計シェルターの人の目が厳しくなったら嫌だもん」
「ありがとうございます」
「てかあんた、これからどうするの?」
「シェルターをいったん巡回します。あとは目立たないように立ち回ります。……アトリさんも大人しくしていてくださいね、お願いですから」
「やだよ、なんで約束なんてしなきゃいけないの」
「……本当に問題児ですね、あなた」
「よく言われる」
アトリさんはにやりと笑う。
「けど良いじゃん。こんなご時世で生き続けるという意味があるのか疑問だし。あたしだってもう結晶病で永くないしさ。あたしが今、ここにいる理由はあの家にあるの」
「……生きてる意味なんて、悲しいこと言わないでください」
少しだけ声が揺らぐ。けど、この子の言っていることは事実でもある。
この世界は、確実な終焉が約束されている。その終焉が短いか、長いかだけなのだ。
それでも私は、ここに生きている人々に、そんな言葉は紡いでほしくない。
「私たちキーパーは、あなたたちを守るために存在しています。終わりが約束されていようともです」
「めんどくさ。なんで今日あったばっかの他人に説教されなきゃいけないの?」
「けど、事実ですから」
少し暗い表情でアトリさんに向き合うと、先ほどのしたり顔からバツが悪そうな顔を向けられた。
「……もう行ったら? 仕事なんでしょ?」
「もう勝手に抜けだしたらだめですからね」
「分かったよ。だから行ってくんない?」
「それでは失礼します」
アトリさんに一礼をし、私は裏路地から離れた。
「……藤沢、アトリさん」
先ほど出会った少女の名前を反復する。
年はおそらく高校生くらい。家が渋谷……神泉の戸建の住まいだったということは、それなりに裕福な家庭だったのだろう。
父も母も二年前の災害で亡くなったと言っていたから、おそらくそれからずっと一人なのだろうか。
──こんなご時世で生き続けるという意味があるのか疑問だし。
そうだ、この世界は終わりしか約束されていない。アトリさんの年齢の方でさえ、終わりに向かって思考を巡らせるのが当たり前の世界。
私たちキーパーは、終わりをできるだけ先延ばしにするための存在。
そのために、私は今渋谷にいるのだ。
誰もいない寂れた路地で、電子手帳で結晶体の分布を確認する。
他の警備で来ているキーパーは、既にシェルター外を巡回しているようだ。
シェルターには私とあと二名ほどが留まっているが、先ほど私には宇田川方面から巡回してまたシェルターに戻ってくるように命令が下った。
「神泉には……二人ほど、か」
口酸っぱく忠告はしたが、やはり気になってしまう。まあ、神泉地区には二人ほど巡回しているようだし、おそらくまたアトリさんが抜け出しても見つけてはくれるだろう。
ざらざらとした地面を踏みしめ、私は腰を上げて歩き出した。
*
シェルターに戻ると、もう夕暮れ時をとうに過ぎ去っている時刻だった。
さすがに空腹も感じ、私はリュックをまさぐり非常食を探す。
「うわ、なにそれ。おいしくなさそー」
路地裏で座り込んでいると、頭の上からそんな声が聞こえた。
昼に聞いた、少し斜に構えたような女子の声。
「……いらっしゃったんですね」
「ここにいろって言ったの、あんたでしょ?」
「忠告、聞いてくださったんですね」
「明日は分からないよ。……てか、配給は? おにぎりくらいもらえばいいのに」
「だめです、私たちはシェルターの配給や物資には手を出してはいけない決まりですから」
「で、パッサパサのジョイカロリーみたいなの食べてんのね」
「小さいですけど、高カロリーですから栄養的には問題ありませんよ」
「ねえ、隣座ってもいい?」
「……構いませんけど、大きな声とかはあげないでくださいね。目立ちたくありませんので」
「うん」
アトリさんは私の隣に腰を下ろす。
「あんたっていつからキーパーやってんの?」
「二年前です。その前から訓練は受けていましたが、本採用は二年前から」
「ふうん、家族は生きてるの?」
「いえ、もういません。母はもともといませんし、父もキーパーだったのですが任務で殉職しました」
「……そう、なんだ」
「あ、いや! 全然気にしなくていいですからね」
「……ごめんあたし、昼、ひどいこと言ったかも」
「何も気にしてませんし、どのことかも分かりませんって。ま、まあ姉がいましたけど小さい頃離婚しちゃってから所在が分かりませんし。こんな世界で今更会うなんてのも不可能ですしね」
「……そっか」
そのままアトリさんは口をつぐむ。まずい、気を遣わせてしまっただろうか。
「ま、まあ私も一週間ほどでいなくなっちゃいますし、たわごとくらいに思ってくださいよ。ほ、ほら、暗くなってきたし戻ったほうがいいんじゃないですか?」
「そうする。……あ、今日はもう逃げないから安心して。黙って帰るよ」
「……そうしてください。私も色々なところを回らなきゃいけないですし、あなたみたいな方がいると心配になります」
「キーパーさんってけっこうお人好し? こんな世界で一人や二人いなくなってもしょうがなくない? あたしもそう思ってるし」
「そんなこと言わないでください。いなくなって良い命なんでありません」
「……まじで考え方箱入りだよね、キーパーさん。助けられなかった人なんてたくさんいるでしょ? そんなことずっと思ってたら具合悪くなりそう」
「終わりが約束された世界を延命するのが私たちの仕事ですから」
「……ねえ、もう少し渋谷にはいるんでしょ? 暇なときまた会いに来てもいい? こんな閉鎖空間でキーパーと知り合いになれるなんて滅多にあることじゃないし、ちょっとキーパーのことも興味あるから」
「構いませんが、お仕事の詳しい内容は話せませんよ? それにいつシェルターに帰還する時間も不定期ですし、どこにいるかも教えません」
「いいよ、シェルターにいたら探す。それにキーパーさんが身を隠せるところがここって思ってることも分かったし」
そう言いながらアトリさんはにやりとする。
「……アトリさん、おいくつですか?」
「十七歳」
「……言葉が巧いですね。私のこと、ここに誘導しようとしてますよね」
「そんなことないない。けどまあ、人目につきにくいところは私のほうが把握してるし、シェルターのどこにいたって分かるかなあ」
「……分かりました。その代わり、無断でまたご自宅に行くのはやめてもらえませんか?」
「まあそうだなあ。キーパーさんがいる間は大人しくしてよっかなあ」
「私がいない時も大人しくしていてください。約束です」
私は彼女に右手の小指を差し出す。
それを見たアトリさんは目を丸くした。数秒経った後、くすりと笑う。
「あたしそこまで子どもじゃないんだけど?」
「口約束だけだと信用なりませんから」
「だからって指切りげんまん? ほんとキーパーさんって面白いね。やってあげるよ」
そう言うと、アトリさんは自身の右手の小指を絡めた。
「嘘ついたら針千本です」
「こっわ。だったらあたしを暇にさせないでよ?」
「……善処はします。仕事優先ですが」
触れた彼女の指は、痛いほどに温かかった。
*
それからと言うもの、シェルターの何処にいてもアトリさんが現れるようになった。
哨戒から帰り、アトリさんと初めて落ち合った裏路地で腰を下ろすと、決まったようにアトリさんが隣に腰を下ろす。
そんなことが三日ほど続いた頃だろうか。初対面の時よりはアトリさんも斜に構えたような態度ではなくなった。その三日間の間も私は渋谷区の哨戒で何体か結晶体を掃討した。けっして肉体的に元気なわけでもなかったが、初対面の時より穏やかな顔で話しかけるアトリさんが愛らしくて、私もついつい相手をしてしまっていた。
どちらかというと人懐っこくて茶目っ気もあって、少し幼い面もある女の子だ。
彼女と家族のこと、学校のこと、友達のこと……こんな世界になる前のことをたくさん話した。今までシェルターの住民と話したことはもちろんあるが、キーパーということを分かって定期的に接触してくる人はアトリさんが初めてではあったので、私も気を遣いながらの返答ではあるが、アトリさんと話すことを心なしか楽しみにしている自分もいた。
アトリさんは出身も渋谷区で、お父さまはお医者さん、お母さまは国語の先生だったらしい。一人っ子で、学校というものが機能していた頃は港区方面の私立の小中一貫校に通っていた。お金に困った生活もしていなかったが、ご両親が倹約な金銭感覚の方だったようで、アトリさん自身もものをねだったりだとか、高級なものを買ってもらったりとかはなかったらしい。にわか信じがたいが、若干人見知りらしく、慣れない人には若干警戒をして話してしまう癖があり、本人もそれを良くは思っていないらしい。
仕事のことは決して話せないが、代わりに私は過去の話をした。母親や父親のこと、そして、大好きだった三つ上の姉のこと。
ちょうど高校生だった時に関東で結晶による災害が起き、じわじわと世界が結晶に蝕まれ結晶体も跋扈し始めた。もともと自衛隊を進路に考え、インターンシップも受けていた頃にキーパーの適性があると分かっていた。だからその後はキーパーとして人生を歩むようになったこと。
「ずっと運動系の部活でしたから体力は自信ありましたし、キーパーになってからもそれは活かされていると思います。短距離走は中学校の時いつも一位でした」
「へえ、まあ確かに体力ないときついだろうしね。あたしはテニスクラブに入ってたことはあるけど……そんなに運動は得意じゃないなあ」
「アトリさんは頭が良さそうですし、そちらでカバーできると思いますよ」
「そんなことないって。あたしがまともに学校通えてたのって中学校一年生くらいまでよ? ……家のあたりに結晶が落ちるまでは渋谷はまだ平和だったから家にも普通に帰れてたけど、結晶災害で全部失っちゃった。……渋谷にシェルターができてからはずっとシェルター暮らしで面白いことなんて何もない。けど徐々に手入れされてなくて寂れていく渋谷を見るとさ、本当に人が住んでたのかな?って疑いたくなる。あんなにごちゃまぜだったスクランブル交差点も今じゃ人っ子一人いない。あたしの家の周りだって、いるとしても結晶体がうろうろしてるだけ。……キーパーさんは怒ると思うけどさ、終わりに向かうだけの世界に意味なんてあるのかって、やっぱりあたしは思っちゃうんだよね」
「……アトリさん……」
「だから、あたしの存在があったあの家のことだけは守りたい。だからちょこちょこ様子を見に行ってるの。……あとは、なんか、家族と過ごしてた時のものが残ってないかなと思ってちょこちょこ探してる」
「……ちょっと待ってください、アトリさん。シェルター外のもの、持ち出してるんですか?」
私がそう言ってぎろりと睨むと、アトリさんの瞳が揺れた。
「……禁止って、分かってますよね? シェルター外の、特に神泉地区は直接被害を受けた場所です。結晶体の粒子がついてる可能性もあって危険ですし、万が一結晶体を生み出すエネルギーを持ち込んでしまったら大変なことになるんです。そうなったらアトリさんはここにいられなくなります」
「……分かってるよ。あたしだってシェルターの人に迷惑かけたいわけじゃないから。だから結晶化してないものだけ探してて……それにまともに残ってたのだってあたしが部活で使ってたテニスラケットだけだったから……持ち帰ってないよ。ラケットなんて思い入れもないし」
「信じていいんですね」
「うん、本当」
そう言いながら、アトリさんは俯く。その姿はまるで迷子の子犬のようで、さすがの私もそれ以上糾弾することはできなかった。
「……分かってるんだ。あの家にはもう、あたしやお母さん、お父さんがいた形跡はもうないんだって。家だって半分結晶化しちゃってるし、進行してる。いずれ全部結晶になって入れなくなっちゃうことも分かってる。だから……残ってるうちにできるだけ見ておきたいんだ。あたしだってずっとは生きられないんだし」
「……ごめんなさい、少し言い過ぎました」
「分かってるよ、キーパーさん、真面目だし、このシェルターの人のこと考えて言ってくれてることくらい」
アトリさんははあとため息を吐くと、シャツの袖をまくり上げた。
彼女の腕を見て、私は言葉を失う。長袖でギリギリ見えてはいなかったから右腕の手首より上が、結晶化している。変わらず鎖骨付近は結晶化しているようだったが、心なしか以前より視認できる面が増えている気がした。
「……結晶化、進行しているんですか?」
「多分ね。ちょっと前から明らかに進んでるんだ。……結晶化って、進行が急に早くなると終わりなんでしょ? 二年間、結晶化のことをできるだけ考えずにいたけど、最近、ああ、いよいよあたしの番か、って思ったら、ちょっと怖くなっちゃって」
「……アトリさんが私に近づいた理由って、それが関わっていますか?」
「ううん全然。キーパーさんが面白いなって思ったのも、暇つぶしになるかなって思ったのは事実。けど……」
そう呟いた後、僅かな静寂が私たちを包みこむ。
「……もし、もしだよ? あたしの家の周りに行くことがあって、あたしが見つけられないものをキーパーさんが見つけたらさ、少しでもいいから、あたしに見せてくれないかな?
何もないんだ、お父さんとお母さんのところに持っていけるもの。けっこう待たせちゃってるし手ぶらじゃ怒られちゃいそうだし」
そう言って、アトリさんは困ったような笑顔を見せた。
「あ、でも、ほんとに無理しなくていいからね? はじめも言ったけど、キーパーさんの仕事を邪魔するつもりはないからさ。本当に、本当に暇な時で良いから」
「……アトリさん……」
「あたしそろそろ帰るよ。じゃあね、キーパーさん」
その背中を、ぼんやり眺めることしかできなかった。
*
──シェルター住民は安全な家屋に避難を! シェルター住民は安全な家屋に避難を!
正午が過ぎた頃だっただろうか、突如シェルター内に耳が痛い放送が流れ始めた。
どうやら渋谷シェルター周辺に結晶体の集合反応が出ているらしい。
まあ、シェルター内にいれば結晶体が入ってくることはまずない。こんな状況ではシェルター内であってもうかつに出歩けないし、広場でじっとしているしかなかった。
キーパーさんは今頃、結晶体を倒しに行っているのだろうか。あの人以外のキーパーは見たことがなかったけれど、人数は十分なんだろうか。
……まあ、あたしが心配してもしょうがない話だ。確認しようがないことでもあるし、そもそもあたしには結晶体に立ち向かう力なんてものはない。無力な一般市民で、膝を抱えて結晶体が掃討されるのを待つしかできない人種なんだから。
「しっかし、襲われてるの、また神泉地区らしいぜ?」
「なんなんだろうな、あそこ……前も悲惨なことになってるし、結晶体が集まる何かがあるのかねえ……」
ふと、そんな声が遠巻きに聞こえてくる。
心臓がどくんと跳ね上がる。
「いよいよあのあたりは完全に封鎖されるだろうなあ……キーパーによる掃討が終わったら完全に立ち入れなくなるんじゃねえか?」
「ま、今更何があるわけでもねえし。どうせ俺たちはシェルターからは出られねえからなあ」
あたしの大切な場所。
「あ、あの!」
あたしは少し遠くで話している男性二人に近づいた。
「し、神泉のあたりが襲われてるって、本当?」
「ああ、みたいたぜ? まあ……ちょっと前からキーパーが来てるって噂もあるし、じっとしてればとりあえずことは落ち着くんじゃねえか? あんたも気をつけろよ?」
「う、うん、ありがと」
そう言うとその男性二人は話しながら去っていく。
──嘘ついたら針千本です
あの人の顔がちらつく。
けれど、明日には、もうあの場所には戻れないかもしれない。
どれくらいの結晶体がいるんだろう。一体ならまだ逃げられそうだが、囲まれたら? 襲われたらあたしはきっとひとたまりもない。
「……ごめん、キーパーさん」
ふらつく足を奮い立たせ、あたしは歩き出した。
*
「できるだけ数を減らすんだ!!」
「っ了解!」
水色のような、透明色の結晶に向け私は銃の引き金を引き続ける。
その引き金の一つ一つに蒼い閃光が乗り、目の前の化け物を掃討していく。
「っ向こうにもまだ反応があります、私はそのままそっちへ向かいます!」
「頼む!」
突如結晶体のアラートが出されたのは、松濤の備品庫で物資補給をしている時だった。
場所は神泉地区。私は備品庫でたまたま居合わせた他のキーパーとともに殲滅に向かうことになった。
今いる場所からそのまま南のほうに結晶体の集合反応がある。そこを叩かねばいけない。
私はあることに気づいた。この道を南に向かうと、数日前、結晶病を患った少女と邂逅したあの場所がある。
背筋がぞわりとする。
このアラートはシェルターにも鳴り響いている。
シェルターのコミュニティや噂話の周りは、きっと私が思うよりずっと早い。この神泉地区の現状が住民に届かないはずがない。
私は走った。
走って、引き金を引いて、塵となった結晶の間をひたすら走り続ける。
そうやって十数分が経過した頃だっただろうか。
住宅の角を曲がり、私はその場所にたどり着く。
そこにいたのは、五体ほどの結晶体と。
結晶体に囲まれ仰向けに横たわっている、一人の少女──
「っアトリさん!!」
*
「……ごめんなさい、遅くなりました」
どんどん体が水晶のように固くなっていく彼女を抱き上げ、私は腕の中に抱きしめる。
いったいどれくらいの結晶体の攻撃を受けたのだろうか。下半身はほぼ結晶と化し、胸のあたりもまばらに、だがじくじくと固くなっているのが分かる。
「やめときなって……こんな姿の人間、きもいでしょ? ほっといたらそのまま結晶になって無くなるから……ほら、結晶体、やっつけるために来たんでしょ? あたしにかまってる暇ないって」
「っ暇だから付き合えって言ったのはアトリさんです」
「……ああ、そんなこと、言ったね……」
「だからっ……シェルターにいてくださいって、あんなにっ……」
「ごめんね……嘘ついたら、針千本、だよね」
消え入りそうな笑顔の中で、アトリさんは話を続ける。
「このあたり、危ないからもう入れなくなるって……聞いて……この家、守りたくて……けどあたしには、何もできなくて……」
「もう喋らないでください! シェルターに戻りましょう! 軍の医師が来ているはずです!」
「ばかだなあ……、結晶病は治んないでしょ、それに、もろに結晶体の攻撃、くらっちゃったし」
「っそんなこと言わないでください! 私はアトリさんに助かって欲しいです! これからいっぱい良いことも、嬉しいことも沢山あるはずなのに!」
「……ほんとお人好し。まじで心配。あたしなんて数日少し喋っただけの関係なのに」
アトリさんは笑う。
「私はもういいからさ、他の人の居場所、守ってよ。キーパーさんならできるでしょ? あたしみたいな何もできない無力な人間じゃないんだから」
私は、懐から一枚の紙を取り出した。
「……これ、アトリさんのものなのでお渡ししておきます」
それを見たアトリさんは、目を丸くする。
「……これ、お母さんの字……」
「ほとんどが結晶になってしまっていたんですが、軍の備品庫に紛れていました。……アトリさん、あの日、お誕生日だったんですね」
私がそう言うと、アトリさんはふうとため息をつく。
「……うん、あたしのお父さんとお母さん、けっこう忙しいんだけどさ。あたしの時間は頑張って作ってくれる人で、あの日も、お父さんは非番にしてくれて、お母さんはできるだけすぐ帰ってくるって言ってくれて……料理もいっぱい作ってるから楽しみにしててって……それで、行ってきますって言って……それで……」
声を震わせながら、アトリさんは話しを続ける。
「……とびきりおいしいケーキ買ってきてくれるって言ってくれて……それで、あたしも楽しみにしてて……お父さんと、お母さんが待っててくれるって……ああ、あのケーキ、そいえば食べられなかったなあ……」
『十三歳、おめでとう亜都理』と書かれたメッセージカード。
亜都理という名前もそうそう被らないだろうし、これは彼女にあてたメッセージだったのだと分かった。
「軍の備品庫って……よく持ち出せたね。後で怒られるんじゃない?」
「怒られたら怒られたでいいです。私がアトリさんに返すべきだと判断しました」
私がそう言うと、いよいよアトリさんは半ば呆れたように浅いため息をついた。
「っシェルター、戻りましょう。私が一緒に行きますから」
「ううん、もう大丈夫。ここにいるよ」
「アトリさんっ……」
「ありがとね、キーパーさん。……ううん、ユウさん」
私は、彼女を抱く腕の力を強める。きっともう、彼女の体の感覚はなくなっている。それでも、最後に人としての温もりを感じてほしい。そんな私のエゴで、私は今ここにとどまっていた。
「約束破っちゃった中でごめんなんだけどさ。最後にお願い聞いて、もらえない?」
「なんでも聞きます。だからっ……」
「多分、あたし以上に悲しい思いをしてる人なんて、たくさんいると思うんだ。だから、他の誰かの明日を、守ってあげて」
アトリさんは笑う。そして──
「さよなら、ユウさん」
そう言い残した後、少女の体は私の腕の中で粒子となって霧散した。
第二章 終末アバンチュール
「お願いします! お願いしますお願いしますお願いしまーす!!」
「……おい中西。俺たちが戻るまでになんとかしておけ」
「っ俺!?」
「お前は口が巧いだろう。なんとかしておけ。中西以外は備品庫に向かう」
緊急招集が出され、俺を含むガードナー第一部隊は鎌倉シェルターに招集された。
ガードナーが招集される。それはすなわち、その土地に危険が迫っているということ。
……といっても結晶体の集合反応が出ているのは、シェルターから少し離れた海沿い、江の島のほうだった。
俺たちは鎌倉の住民たちを守りながら、この地域を脅かす危機を掃討することになる。
はずなのだ、が。
部隊に置き去りにされた俺と、数人の鎌倉シェルターの住民と……水色のジャージ、ホットパンツにサンダルと下半身の露出が少々派手な女性が俺の前に立っている。
「あ、あの……」
住民の圧に耐えられずそう零す俺に、その水色の女性は口を開く。
「そもそも急に外からやってきて夏祭り中止とか意味わかんなくない? 一年唯一の楽しみを奪われたら私たち何するか分かんないよー?」
続き他の住民たちも、「そうだそうだ」と口を続ける。
「……といっても、わたしたちガードナー部隊が緊急で来ている意味もご理解いただきたいです」
「分かるけどさあ。危ないって分かってからは江の島のほうには近づいていないし、その後鎌倉シェルターは何もなく平和に過ごしてるよー? それに江の島の小シェルターの人はもう鎌倉シェルターに避難しているし、あの辺りには今は住民はいない。シェルターから江の島はそこそこ距離はあるし、ぶっちゃけここから出なければ安全なんじゃないの?」
「……わたしたちが来るより早く江の島の方たちを非難させていただいたこと、本当に感謝します」
「ふふん、鎌倉の人たちの結束力を舐めちゃいかんよ」
その女性は自信に満ちた表情で微笑む。
「と、いうことで、お願い! 三日後なのよ! 中止にされたら食べ物だってだめになっちゃうしさあ、ずらせないのよ、夏祭りって。……昔みたいに大きな冷蔵庫とかが完備してれば全然良いんだけど、電力だって限られてるし今ってガラクタになっちゃってるでしょ? 雨だろうが嵐だろうがやろうと思ってたし」
「……」
なぜ隊長は俺を説得に置いて行ったんだ。完全な采配ミスだろう。
俺は昔から口下手だ。目の前にいるこの女性のほうが遥かにコミュニケーション力は高いし、口も巧い。
隊長は俺の何を見て口が巧いと言ったんだ。あそこにいた誰よりも口下手なのを分かっているだろう。
「……と言っても、わたしたちには決定権はありません。出来るだけ早くに結晶体を掃討したいとは思いますが、現場を見なければなんとも言えません。それに結晶体は急激に動きを見せる時もありますし、何より危険なんです。申し訳ありませんが……」
「……むー、キーパーさん達の危険を冒してまで我儘は言えないしなあ。じゃあさ、準備は続けさせてよ! キーパーさんの迷惑にならないようにするからさ! 何かあったら協力するし」
「……隊長に伝えてはみますが、あまり期待は、しないほうがいいかと」
「だいじょうぶ大丈夫! 私もついてくから!」
「っは?」
「この場を納めろって言われたけど、なんで俺がって顔してるし、そもそもあなた、そういう役回りの人じゃないでしょ? 口下手みたいだし。これ以上、間に挟まないようにするからさっ安心して」
「……わたしの事情は良いのですが、……まあ、隊長に取り次ぐくらいなら」
「やった! ……というわけで皆の衆、任せたまえ。取って食われないように頑張るから」
「……わたしたちを何だと思っているんですか、まあ、しばらくしたら部隊も戻ってくると思いますので、そうしましたらまたこちらで待っていただいてもよろしいでしょうか?」
「おっけー。そしたらみんな、解散しよ! 隊長とのお話も私だけでいいよ。あんまりたくさん人がいても困るだろうし」
そう言うと、彼女は歯を見せて眩しく笑った。
住民たちが解散し二人きりになった後、その女性は聞いてもいない情報を俺にぽんぽんと開示し始める。
名前は檜山 侑芽(ヒヤマ ユメ)さん。鎌倉生まれの鎌倉育ち。実家は少し市街地の外れのほうにあったようだ。趣味はサーフィンやSUPなどのマリンスポーツ。見た目はかなり若く見えるが、なんと俺と同じ三十五歳らしい。
「しかしどうしよっかなあ。隊長さんに取り次いでくれるってのは嬉しいけど、正直、説得する方法は思いつかない」
「……まさかの無計画ですか……自信があったように見受けられましたが」
無鉄砲。常ににじみ出ているこの自信の所在はどこから来ているのか全く分からない。
しかし、彼女と話してみて、シェルターを見てほんの少しだけ分かったことがある。
ここは過去に結晶体の襲撃を受け大被害を受けた場所でもある。
あの時、シェルターの扉を結晶体に壊され、俺たちキーパーとしては本当に恥ずべきことだがたくさんの住民の尊い命も奪われてしまった。
だが……それを感じさせないほど、この土地は明るい。生命力というか、そういった人間の根本にあるものが溢れているような場所だった。
先ほど言った夏祭りの影響なのかは分からないが、活力に満ち溢れている。
俺が遠くの夏祭り準備のほうに目線を向けていると、ヒヤマさんは口を開いた。
「楽しそうっしょ? 私たち、こういうお祭りごととか、祝いごとにめっちゃ本気なんだよね。特に鎌倉って二年前に結晶体にやられちゃってるし、そういう一つ一つのイベントを大事にしていこうって、シェルターのみんなと決めたんだよ。私たちはいつ誰がどこで何が起きるか分からない中で生きてるから」
「……そう、ですか」
「大変だったなあ。当時は私もめそめそしてたけど、まあくよくよしててもしゃあないしって思って。引かぬ悔やまぬがわが人生ってね」
「……」
そう言うヒヤマさんはずっとニコニコと笑う。こんな退廃した世界にはもったいないくらい眩しい笑顔の人だ。
「……取り次ぎまではやります、だめってなったら諦めてくださいね。俺たちも仕事で来ているのでどうしようもできない面もあります」
「努力しま~す。でも、諦め悪いかもしんない。迷惑かけたらごめんね!」
わざとらしく空笑いをする目の前の女性。
……粘る気満々じゃないか、この人。
思わずしかめ面で眉をひそめる。
これは何かが起こる。絶対に。
*
私たちはいつ誰がどこで何が起きるか分からない中で生きている。
明日には誰かが結晶体にやられて死んでしまうかもしれない。私だってそうだ。
悩んでいる暇なんてものも、この世界にとっては贅沢品だ。
だから私は今を精いっぱい生きる。未来のことなんて、あっという間に崩れ去ってしまう世界なんだから。
案の定、江の島は最悪な状況になっているらしい。
俺を含む十数名を除いたガードナー第一部隊は、江の島の結晶体掃討に向かっている。
俺は鎌倉シェルター付近の警備、および結晶体が近づいた際は、速やかに危機を掃討する命を請け負っている。
今のところは平穏だが、一時たりとも気は抜けない状況だった。
……なのだが。
「あの、公務中です。遠くに行ってていただけませんか」
「いいじゃん。今は暇なんでしょ? あの人たち帰ってきたらまた粘らんといけないし」
結局昨日粘りに粘り、隊長に怒鳴られたのにも関わらず、この人はまだ諦めないというらしい。
「ヒヤマさんはなぜそこまで夏祭りの開催にこだわるんですか?」
「えーそれわざわざ聞く? 一年の数少ない楽しみだから。それだけで十分じゃない? シェルターなんて普通にしてたら娯楽皆無なんだからね?」
「……失礼いたしました」
ヒヤマさんは俺を気遣うように再び口を開く。
「ま、それもあるけどさ……一番はお祭りの時のみんなの笑った顔が好きだから。関東圏に結晶体が襲来して私もシェルターに避難することになったけど、みんながみんなこの世の終わりみたいな顔してさあ。
だから知り合いから声かけていったの。この鎌倉シェルターを最高の場所にしていこうって」
「本当にこの場所が好きなんですね、ヒヤマさんは」
「あったり前でしょ~? 生まれも育ちも鎌倉なんだから。地元愛ですよ」
「……」
「コウジさんはキーパーになる前はどんな生活してたの?」
「……以前もお伝えした通りですが、防衛大学校の学生でした。在学中にキーパーの適性試験を受けまして、俺は防衛大で訓練も受けていたこともあり、ガードナーという前線部隊にはじめから配属になりました」
「へえ、めっちゃ優秀じゃん。小さい頃もけっこう真面目だったの?」
「……そこまで真面目で優秀ではないですね。中学校の頃に少しやんちゃしていましたが……」
「え、もしかしてヤンキー!?」
「……いやそこまでは……若気の至りです」
「めっちゃ真面目で頭良くて運動もできてモテてるんだなあ~って思ってた」
「……本当に、あなたには俺が何に見えているんですか」
そんな話をしていた矢先だった。
腰のベルトにつけていたアラートがけたたましい音を響かせる。そのアラームの初動とともに、俺は動き出す。
その音が示すものは一つ。結晶体が近づいてきているということ。
「……ヒヤマさん、シェルターの広場に避難していてください、俺は行きます」
「え、ちょ、ちょっと!」
それだけを言うと、彼女をその場に取り残し走り出した。
*
アラートの分布先は長谷寺のほうだった。
鎌倉シェルターで他のガードナーの隊員数名と合流した後、長谷寺の跡地までの結晶体を掃討しながら進んでいく。
「中西さん、そういえばすげえ陽気な女性に絡まれてましたね、どういう関係ですか?」
「……知らねえよ、あっちが一方的に絡んでくるんだ」
「陽キャ、って、ああいう人を言うんですかね……けれどこんな世界であそこまで明るくいられるのもすごいですよね」
「俺、正直ああいう人タイプですわ、なんで中西さんだけ……」
「色恋にうつつは抜かすな。そういうところだぞ木村。中西さんを見習え」
俺たち三人の中でひと際背が飛びぬけている加藤が木村を諫める。感情をあまり表出するわけではなく、ぶすりとしていることが多い。それでいてこいつはタッパもあればガタイも良い。かなりの常識人なのだが初対面では絶対に怖がられる損な役回りのやつだ。
「分かってるってば」
結晶体の分布が落ち着いた頃、そんな話になる。
公務中にくだらない話を、と思うが、ガードナーは男ばかりの部隊ゆえ、どうあったって男女の話には目ざとくなる。
他にも配給所ですれ違ったあの人がタイプだとか、よくまあ飽きないものだ。
同じチームの加藤は色恋にそれほど興味のないタイプだが、木村はどこのシェルターに行ってもうつつを抜かしやがる。本当に軽いやつだ。
「……あの人、昨日めっちゃ隊長に怒鳴られてましたね。……なぜか中西さんも一緒に怒られていましたね」
「……予想はしていた。けどあの人に言うことも分かるからな……閉鎖的な空間の数少ない娯楽を奪われたら、そりゃあシェルターの住民も反感は食らうだろうよ」
「あの人、今日もいましたよね。今日も隊長に食って掛かるんですかね」
「多分な……どうするつもりなんだろうな。絶対無理だろ、隊長を説得して夏祭りを開催するって」
「まあ……シェルター内だけで完結してもらえれば中止させる理由はあんまり無いんですよねえ……」
「その時間はねえだろうよ。そもそも隊長だってそういったことに考えを巡らせたくねえからああ言ってるんだろ」
電子手帳を操作し、ここら一帯の結晶体の分布を調べる。
まだ長谷寺の奥のほうにいくつか分布がある。そこを叩いてしまえばひとまずは一掃したことになりそうだ。
「高徳院の……奥のほうだな。行くぞ」
「了解」
長谷寺を奥に進むと、かつて文化を形成した跡形が見える。
かつて観光名所として名を馳せた鎌倉の大仏は見る影もなく、苔むして手入れがまるでされていない。
草木もぼうぼうと生え、地面がコンクリートでない箇所は視界を緑で遮っている。時が止まっている、といった表現が近いのだろうか。
文明に思いを馳せる気持ちを振り払う。
どこかに絶対結晶体がいる。分布的には一体。大きさはまだ不明。
「っ総員警戒!!」
加藤の声と同時だろうか、東からぞくりとした気配を感じる。
気配の先に小銃を構える。その先にいたのは──
「な、んだ、ありゃあ……」
背筋が凍る。そこにいたのは、野犬のようだが。
身体の半分が結晶化している。左半分は黒毛の犬、右半分は結晶化した水透明色をした物質と化している。
身体の真ん中……おそらく心臓にあたる部分がルビーのように赤く光っている。あんな生命体、現実世界にいるわけがない。
こんな結晶体に覆われた世界になる前は。
「っ避けろお!!」
刹那、閃光のようにその生命体が突進してくる。
左右に散開しそれを避ける。すかさず小銃の引き金を謎の生命体に向けて引いた。
直線状に狙った照準は、その生命体の右足を掠める。
──ッガアアアアア!!
結晶と化しているその部分から粒子が拡散していく。
エンドゲイザーによる攻撃が効いているということは、あいつは間違いなく結晶体だ。
ただ、動物のような形態など見たことがない。
「っ……なんで半分結晶体になっても動いてるんだよ、ありゃ」
中学校の時にやったゾンビゲームで出てくるような形をした生命体。いや、あれは生命体といっていいものか。
だが今はそんなことを考えている場合ではない。ただ、目の前のあれを倒すことを考えろ。
一体しかいないが、とにかく動きが速い。目で追うのが精いっぱいだ。
むやみやたらに銃を撃つことも難しい。
ならば。
「俺が行く、木村、加藤、援護しろ!!」
「いや、さすがに無茶ですってば!!」
銃での交戦が難しいなら、肉弾戦でいくしかない。
俺は化け物に向かって近距離攻撃型のナイフを構えた。
明確な攻撃意思を感じたのか、野生の本能か向こうも臨戦態勢に入ったようだ。
「素早い相手は苦手ですが、追ってみます。中西さん、前に行ってください」
「ああ、頼む!」
加藤は右手に持っていた六尺棍を構える。キーパーの武器は銃やナイフ、警棒型のエンドゲイザーを所持するのが主だが、こいつは特注で作ってもらった身長ほどある棍棒を武器としている。家系が古武術の道場だったらしく、幼い頃から武術を叩き込まれたらしい。
俺は地面を蹴り上げた。それと同時、結晶体も俺に向かって走る。
当たり前だが、あちらのほうは速度は速い。それに殺傷能力は確実にあちらのほうが上だ。鋭い爪で裂かれたら俺の身体なんてあっと言う間に真っ二つになっちまう。
ありったけの殺意を振りかざしながら、俺は存外冷静だ。
避けることだけに集中する。
距離があと2メートルになったところか。
鋭い前足が、俺の身体を狙う。だがここまでは想定内だ。
ここで加藤が俺の前に出る。
「中西さんに手ぇだすんじゃねえよ」
突きを繰り出す加藤。あまりに速い。瞬きをした刹那に、結晶体からドンという音がし、何メートルも後にふっ飛ばされていく。
突きが入った箇所がひび割れる。だが急所には入っていないのか、消滅までには至っていない。小型の結晶体なら倒せていただろうが、あいつは従来の結晶体より頑丈なようだ。
再び結晶体が俺たち目掛け突進してくる。だが先ほどの攻撃で加藤を警戒しているのか、その突進は俺に向けられる。
先ほどの攻撃が効いているのか、明らかにスピードは遅くなっている。
「加藤、大丈夫だ。俺がとどめを刺す!」
俺は目いっぱいの力を右足に込め、そのまま旋回する。
先ほどまで俺がいた場所に、閃光のような攻撃が走った。
そして、その犬っころの結晶化した鼻先をがしりと掴んだ。
「死んでもらうぜ!!」
振りかざした右手を結晶化した脳天に勢いよく突き刺す。
瞬間、断末魔のような叫び声が響いた。
即座に化け物との距離を取り、銃の照準を合わせる。
だが、引き金は引かなくても良さそうだ。
犬の形をしたそれが、俺が貫いた傷口から光の粒子を発生させ、徐々に体を霧散させていく。
エンドゲイザーが効くということは、あれは間違いなく結晶体だ。
だが、この後味の悪さは何なんだ。
結晶体に刃を突き立てた感覚とも違う、動物を殺す感覚にも近い違和感。
そんなことに思考を巡らせていると、後頭部にどすんという衝撃を感じた。
「中西さん、ご無事ですか」
「おう、お陰様でな」
「……加藤ってまじでゴリラだよなあ……けど、あのパワーで攻撃して一発で死なない結晶体、なんなんだろうな。俺だったら頭蓋骨粉砕されてるぜ、あれ」
「木村がまたふざけたことを言いだしたら粉砕するか」
「お前が言うと洒落にならないよ!」
木村がぴーぴーと喚き出すのと、俺は咳払いで諫めた。
「……行くぞ。まだ反応はある。このあたりの結晶体を一掃してから戻るぞ」
「了解」
「おっけーす!」
*
「……どういうことですか?」
掃討を終え、シェルターに戻った俺たちは耳を疑った。
「……まあー、シェルター内だけで完結することのようだし、そこまで多大な電力も消費しないとのことだ。住民の方々の数少ない娯楽を奪うのも癪だからな。許可を出した」
「あーれえ、隊長、あの女になんかされましたか? 弱み握られたとか?」
同じくガードナーの後輩であり、俺とチームを組んでいる木村が茶化すように声をかける。その声の方向に、隊長はぎろりと視線をやった。
「あくまで公正な判断のものだ。上にもすでに許可は降ろしてある。……まあ、鎌倉シェルターは多大な被害を被った場所でもあるし、任務に支障がないのであればシェルター全体の活気にもかかわることだから今回は許可するとのことだ。あくまでそんなところだ」
ごほんと咳ばらいをし、隊長はそばにあったコンテナに腰かけた。
「……おい中西。お前、ヒヤマさんと話をしていただろう」
「あ……はい。なんか、言われましたか?」
隊長は頭を抱え、大きなため息を吐く。
「……まじで気をつけろ、あの女はやばい」
「何言われたんですか!?」
「こぉんにちはぁー、隊長さん、ブロワーとかあったりしない? 木屑が出ちゃって片付けたいんだよねえ」
噂をすればなんとやら。ヒヤマさんがテントの中をのぞいてきた。
その姿を見るなり、隊長はわざとらしく慌てる。
「ブ、ブロワーか! そ、そこのコンテナに入ってるぞ、中西、貸してやれ! ついでにこいつらも貸してやる! 体力と筋力は馬鹿みたいにあるやつらだからな! おいお前ら行ってこい」
「えーいいの!? 隊長さんありがと!」
「……」
まじで何を言われたんだ、隊長は。
「……出ていいなら手伝います。俺と加藤と木村でいいですか?」
「ああ、お前らが周りの結晶体も掃討してくれたんでしばらくは安全だしな」
「え、コウジさんも来てくれるのー? めっちゃ助かるよ、今から櫓組むらしくて人手探してたんだよねえ」
「コ、コウジ、さん、ですって……?」
俺の隣にいた木村隊員がわなわなと目を丸くする。
「……もしかして中西さんも手籠めにされてます?」
「……木村、殴るぞ」
「いや、だって下の名前で呼ばれてますし」
「うーんと、コウジさんと、他のお二人は?」
「俺、木村壮太です! こっちは加藤!」
「……加藤昭栄です」
「うーんと、ソウタさん、ショウエイさんですね!」
「あの、ところでヒヤマさんってお幾つなんですか?」
「おい、木村……」
浮かれた木村が余計なことを口走る。
「私? 幾つだと思う?」
ヒヤマさんがいたずらっ子のようににやりと笑う。
「え、に、二十五、くらいですか?」
「そんなんじゃないよお、三十五! コウジさんと同い年!」
「さ、三十五ぉ!? まじで言ってます!?」
「ソウタさんはお幾つなんですか?」
「二十三です……」
「えーじゃあ干支一緒じゃないっ? お揃いだね!」
そう言いながらヒヤマさんがけらけらと笑う。その目の前で何を期待していたのか分からない木村ががくりと肩を落とした。
「……お前、自分から歳聞いておいて失礼すぎねえか?」
「違いますよお……出会いも何も求めてませんが、シェルターにいる間はちょっとは良い思いしたいじゃないですか。ガードナーは男しかいませんし……けど年が離れすぎてたらそりゃ気にしますってえ。正直ヒヤマさんみたいな感じの人はめっちゃタイプですけど」
「えータイプ!? めっちゃ嬉しいー!」
俺の隣にいる馬鹿の囁き声をヒヤマさんはしっかりキャッチする。
「……置いていくか。ヒヤマさん、この馬鹿がすみません。俺と加藤だけで行きます」
「ちょ、ちょっと待ってくださいってえ!」
「えー元気でいいじゃん。ソウタさんも手伝ってよ。力ある人はめっちゃ助かるから」
「は、はい! 行きます行きます!」
「……」
思わず大きなため息を吐く。そんな様子を加藤も呆れるように見つめていた。
「あ、ソウタさん、私のことタイプって言ってくれてるけどさあ」
ヒヤマさんは、苦笑いしながら口を開く。
「私、結婚してるからね。人妻はさすがに狙っちゃだめだよ」
「っへ?」
「ほら、案内するよ! 三名様ご案内でーす、なんてね」
「っええええええええええ!?」
「……愚かですね、あいつ」
「加藤、あいつが変なことしたら殴れ、絶対に」
「了解しました」
*
「まさか一日で櫓ができちゃうとは思わなかったなあ。みんな力持ちでびっくりしたよ」
「明日は協力できるか分かりませんが……」
「ショウエイさん、身長高いしすごい力持ちだったけど、ソウタさん、けっこう小柄なのに力持ちでびっくりしたよ」
「加藤はもともと武術をやっていましたのでガタイはいいんですが、木村も鍛えてますからね」
「本当にありがとう、ソウタさんとショウエイさんにも改めてお礼を言ってくれないかな」
櫓を組み終わった直後、木村と加藤は隊長に呼ばれそそくさと拠点に戻っていき、この場には俺とヒヤマさん、そして周囲に片づけを行う住民が複数名残されていた。
「……」
「どうしたの、コウジさん?」
「……深入りすることではないかもしれませんが」
「えーもしかして私告白されるっ? ソウタさんも私のこと気になってるでしょー? いやー私、モテモテだなあ」
「……旦那さん、お見掛けしないと思いまして……」
「あ、そのこと? うーん、既婚なのは事実なんだけどなあ。……コウジさん、この後ちょっと時間ある? ちょっとついて来て欲しいところがあるんだけど」
「……」
「彼のとこ案内しよっかなと思って。コウジさんならいいよ」
そう言いながらヒヤマさんは悲しそうに笑った。
「雄太くん、遅くなっちゃってごめんね。夏祭りの準備が捗っちゃって」
「……」
シェルターのはずれにある高台。そこにぽつんと置かれた墓石。ヒヤマさんはその前にしゃがみ込む。
「あのね、キーパーの人が来てるんだ。その中でもガードナーっていう、めちゃくちゃ強い人たちが来てるの。なんか江の島に危険な結晶体がいるらしくてさ。この人はナカニシコウジさん。ガードナーの人」
「……」
「心配しないで、私は今も昔も雄太くん一筋だよ」
「……やっぱり、そうだったんですね」
「やっぱコウジさんは気づいてたかあ。そりゃそうだよね、私、いっつも一人でいるし変だと思ったでしょ?
……檜山雄太くん、私が一番好きだった人。結晶体の大災害の時に私を庇って死んじゃった」
シェルターがまだ万全でない時代。鎌倉は結晶体の大量発生による災害を受けた。あの時、鎌倉の住民も、キーパーも、たくさんの尊い命が奪われた。
「……ヒヤマさんの旦那さんは……どんな方だったんですか?」
「なんていうんだろうね、明るさの権化? いっつもニコニコしててポジティブでさ。今の檜山侑芽って感じの人。
……私、昔はこんな感じじゃなかったの、けっこう卑屈でさ。仕事で嫌なことがあったらいっつもお酒飲みながら雄太くんに泣きながら愚痴って、雄太くんがそれでもいいじゃん、気楽にやろうよって笑いながら慰めてくれて……雄太くん、いっつも私のこと守ってくれてた。
……それで、お付き合いして五年くらいかなあ。雄太くんが、私が大好きな江の島水族館でプロポーズしてくれたの。私、ほんとに嬉しくて、即答でお返事して……。
そんな幸せ絶頂な日々がちょっと続いた頃だったなあ、鎌倉が結晶体に襲われたのは」
「……」
「地獄って言葉がよく似合う光景だった。周りの人も結晶体に襲われていって、真っ白に、砂みたいになって散っていくの。……怖くて全然動けない私を、雄太くんが無理やり引っ張って逃げてたんだけど……雄太くんに何体かの結晶体が覆いかぶさってね」
──っ侑芽、逃げろ!
──雄太くんっ……雄太くん!
──俺は大丈夫だから、行げえええ!!
「……その後聞こえた雄太くんの悲鳴にびっくりして、私、走って逃げて……気づいたら、何もない、海辺まで逃げてた。
綺麗な海の砂じゃなくて、真っ白に染まった、結晶の塵で埋め尽くされてて……。ああ、私、雄太くんを置き去りにして一人だけ逃げちゃったんだって自覚した。……けど、不思議と涙は出なかった。
ははは、あれから悲しいとか、泣きたいっていう感情が無くなっちゃったみたいでね、私、いっつもヘラヘラしてる人になっちゃった」
「……」
「……コウジさんは、この鎌倉を守りに来てくれたんだよね」
「はい、必ず。ここにある脅威は跡形もなく消し去ります」
「ちょっとお、殺意高すぎない?」
そう言いながらヒヤマさんは苦笑いする。
「鎌倉が危険な目に遭うなんてことは二度と起こさせません。あの時から結晶体の捜索アラートも整備され、事前に察知できるようになりました。それに俺たちは強い。……木村も……あいつは女にいっつも現を抜かしてますがガードナーの中でもトップクラスの狙撃能力を持っています。加藤は前衛に出させたら最強です。俺もです」
「……そっかあ、じゃあ安心だね」
「江の島掃討の決行日が決まったそうです。夏祭りの前日です。……気が気でないかもしれませんが、夏祭りのご準備はなさってください。一年に一度の楽しみなのでしょう?」
「……無事掃討できたら、もしかしてガードナーのみんなも夏祭り、参加できるかなあ」
「分かりません。すぐ他の場所に招集される可能性もあります。……ですが」
俺はヒヤマさんに横並びになるように、墓石の前に片膝をつく。
「……皆さんの笑顔は何が何でも俺たちが守ります。あなたが心の底から笑えるようにこの場所を守りますから」
「……ありがとう、コウジさん」
「日が暮れて来ました、もう帰りませんか?」
「私、もうちょっといるから、先戻ってていいよ。大丈夫、暗くなる前には絶対帰るから」
「……分かりました」
「……コウジさん。無事帰ってきてね。ソウタさんもショウエイさんも、あの怒りっぽい隊長さんも。みんな死んじゃ嫌だからね」
「それはあり得ません。俺たちは結晶体を掃討することに関して精鋭の部隊です。結晶体に殺されるくらいなら自分で死にます」
「……へへ、コウジさんってほんと頼もしいね。眉一つ動かさないでそんなセリフ言える人なかなかいないよ。
……けどさ、嘘つけない人でしょ。……雄太くんに似てるなあ、そういうとこ」
「血の気が多いだけです。……俺は行きます」
「ありがとう、コウジさん」
*
あの日は私にとって、特別な日だった。
私の名前が、横山 侑芽から、檜山 侑芽に変わる日だった。
前日に実家で書類や印鑑をそろえて、その日雄太くんと鎌倉駅で待ち合わせをして、一緒に鎌倉市役所に行って婚姻届けを出す日だった。
私にとって、雄太くんにとって特別な日になる、そんな日だったのに。
小町通りの奥で聞こえた大人と子どものどちらもが入り混じった悲鳴。
危険に鈍感な私は全く気付かなかったけれど、煙のようなものが上がっていたのを覚えている。
「っ侑芽! 逃げるぞ!」
「え、ゆ、雄太くん!?」
突然私の手を強く引き、雄太くんは走り出した。その煙から遠ざかるように反対方向へ走っていく。
そして五分ほど走った頃だろうか。私たちの目の前には、テレビやSNSで見た巨大な蜘蛛のような……昆虫のような節足の生命体が……一体ではない、何体も蔓延っていた。
「っ……あれ、結晶体!? なんで、関東にはいないんじゃなかったの!?」
「そんなこと考えてる場合じゃないって! 侑芽、行くぞ!」
「行くってどこに!」
「分かんないけど逃げるしかねえだろ!」
再び雄太くんは私の手を引いて……その時だった。数メートル先のサラリーマンのお兄さんが、結晶体に肩を貫かれている。
つんざくような男性の悲鳴。その刹那、その肩口から、白い砂のような物質が空に舞う。
そこから男性の姿が霧散していく。そして……着ていた服を残して、姿形は白い砂のようになってしまった。
「っ結晶化……あれってまじだったのかよ」
「っあ、ああ……」
結晶体に攻撃されると、耐性の無い人間は結晶となり、そこから体を保てず霧散する。
結晶体によってもたらされた、新しい人間の死。
震えて動けなくなってしまった私の肩を、雄太くんはがしりと掴んだ。
「大丈夫だ、何がなんでも侑芽は俺が守る」
「っけど、あんなの、人間が敵うわけが」
「敵わなくても逃げられるだろ! それにほら、侑芽運動神経抜群だろ、俺も元短距離選手だ! だから逃げられる!」
「っなにそれ、よくこんな時に冗談言えるね」
「冗談じゃなくて、逃げるしかできねえだろ。……って、けっこうやべえな、侑芽、走るぞ!」
私の返答を聞く前に、雄太くんは再び私の手を引いて全力で走る。私もそれに置いて行かれないように、強張る足を全力で動かした。
ここで、まだ死にたくない。
この人と、まだ生きていたい。
そればかりが頭を反芻していた。
それなのに、本当に現実は残酷だ。
複数の結晶体が巣食っていて私たちは取り囲まれてしまった。
一体の結晶体が私たちに飛びかかってきたが、それと同時に私の身体に、ドンという衝撃が走る。
雄太くんに背中を押された。
よろめいて、その衝撃の先を見ると、取り囲まれていた外に私は追いやられていて、雄太くんには大量の結晶体が覆いかぶさっていた。
「っ雄太くん!?」
「大丈夫だ、行け!」
「っ今、助けるから!」
「っ侑芽、逃げろ!」
「雄太くんっ……雄太くん!」
「っ俺は大丈夫だから、行げえええ!!」
いつも優しくて、ニコニコして、楽観的で、喋るのも穏やかな雄太くん。
そんな彼が声を荒げるのは珍しくて、私もあの時、雄太くんの怒鳴り声を、初めて聞いたかもしれない。
それに驚いてしまって、思わず、私は一人で走り出した。
その直後に聞こえた、大好きだった人の悲鳴。
あの時私が振り返って、彼を助けていたら、未来は変わったんだろうか。
もう、振り返っちゃいけない。
立ち止まってしまったら、雄太くんに怒られる。そんな気がした。
「っう、うう……! ごめん、ごめん、雄太くんっ……」
もうそこからはよく覚えていない。
逃げ回って、気づいたら私は一人で鎌倉の海辺にいて、けど見知ったような砂浜はそこにはなくて、砂浜も真っ白に染まっていた。
きっと、雄太くんは、もういない。
あんな大量の結晶体に襲われたら、何の術もない人間はただではすまない。
「……」
恐ろしいほどに、その海には何もない。
結晶体の姿も、人間の姿もなくて、そこにあるのは佇んでいる私の姿だけ。
「……どうすれば、いいんだろう」
ぼんやりと、海の静寂に思いを馳せていた、その時だった。
「っ大丈夫ですか!? 鎌倉の方ですか?」
うつろな目でその方向に目を向けると、小銃を持った二人の屈強な男性が私のほうへ近づいてくるのが見えた。
「……あ……私……」
「結晶体から逃げて来たんですね。僕たちはキーパーです。私たちが安全な場所まで誘導いたします」
「……そこに、みんな、集まってるん、ですか?」
掠れた声で、私はなんとか言葉を紡ぐ。
「はい、鎌倉駅周辺にいた方たちはみんなそちらに避難しております。鶴岡八幡宮のほうが被害が少ないものですから、一度そちらの結晶体を掃討し、そこに仮の避難所が設立されています。一緒に向かいましょう。立てますか?」
「……雄太くん……」
「……連れの方がいらっしゃったんですか?」
「はい、そこで会えるはずですから。行きます」
「……分かりました。私たちはキーパー横須賀支部所属、岡田と川島です。あなたは」
「……横山……いや……」
私は、すうと息を吸う。
「檜山 侑芽です」
今日変わるはずだった私の名前。
その名前が、私の頭の中を駆け巡っていった。
*
「ああー! もう! 消しても消しても沸いてくるのどうにかなんないんすかぁ!? らちが明かないっすよぉ!?」
「結晶体に再生能力はない。エンドゲイザーで叩けば壊れるだけだ。数が多いなら、少なくなるまで消すまでだ」
「っいやいやいや、それが通じるのは体力お化けの中西さんだけなんですってえ!」
そう喚きながらも、木村は確実に小銃の弾道を結晶体に向けていく。こいつはやかましいし女癖も悪いが、銃の扱いは一級品だ。
「……江の島、思ったよりやばいですね。このままだとジリ貧になります。さっさとシーキャンドルにいるおおもとを叩きましょう」
「……急ぐぞ! 木村は進みながら遠くの結晶体を狙え! 俺と加藤で前に出る!」
「おっけーっす!」
「了解、だ馬鹿野郎!」
江の島の結晶体の大発生は、とある結晶体が関連している可能性が高いという。
作戦の少し前に伝えられた、今までに見たことのない化け物。
形状は巨大なアーモンドのようで、中心にサファイアのような色の丸い物体が、脈打つように鼓動をしている。かならずしも結晶体が全て同じ形をしているわけではないが節足体の昆虫のような形状が多い結晶体の中では、特殊な形状をしている。歩行能力はないらしく江の島のシーキャンドルの付近で滞留しているらしい。
江の島から非難してきた住民からの話だと、結晶体が大発生したのはその付近かららしい。
その巨大な結晶体が大発生の原因になっている可能性がある。他のガードナーが小さな個体を討伐し、俺、木村、加藤の小チームは、おおもとの原因の討伐を任せられていた。
目標は江の島にあるシーキャンドル。俺たち三人は、ひたすら結晶体を殲滅しながらそこに向かう。
「中西さん、もうすぐです。きっと目的の結晶体もそこにいます」
俺と同じく前衛を陣取る加藤がそう呟いた。
その矢先──
潮風とはとうてい思えない暴風に襲われた。
「っどわあああ!? なんすか!?」
「……なんだ、あれ……」
その暴風とともに、今まで晴天だった空が、突如真っ黒な姿に変貌する。
そして、俺たちの目の前に、今までなかった……三メートルはあるだろう、巨大な建造物のような……球状の化け物が聳え立っていた。
その中心には、蒼い物体が鼓動している。
結晶体。
背筋がぞくりとした。
「っ加藤、木村! 退け!!」
俺の叫びとほぼ同時だった。
シーキャンドル付近に出現した巨大結晶体——球状の母体が、脈打つように蒼い光を放つ。
「来ます!」
加藤が声を張り上げた瞬間、暴風が叩きつけられる。
空気が歪み、周囲の結晶体が一斉に活性化した。
「……本体はあれか」
その時だった。
乾いた銃声が、ひときわ高く響く。
——パンッ。
蒼い核の周囲を蠢いていた小型の結晶体が、正確に撃ち抜かれて砕け散った。
「三秒止めます! その間に距離詰めてください!」
木村だ。
風、視界、距離——全てを計算した位置取り。
「……女癖はわりぃけどさすがだなあ、木村ぁ!」
俺と加藤は顔を見合わせ、同時に前へ出る。
次の銃声。
次の次の銃声。
木村の弾は、俺たちの進路を塞ぐ結晶体だけを選び撃ち抜いていく。
無駄な引き金は一発もない。
こいつは銃の腕は一級品だ。だから俺は、こいつに後ろを任せられる。
「右から来ます、加藤!」
「っおう!」
巨大な結晶体がごうんと初動を見せるが、木村の弾丸がその動きを阻害する。
「中西さん! 本体の右側を狙ってください!」
「把握した!」
それに、戦場全体を見てやがる。
結晶体が鼓動を強める。その直後小型の結晶体が集束し、防壁のように母体を囲おうとした。
結晶体が鼓動を強める。
それに呼応するように、小型の結晶体が集束し、防壁のように母体を覆おうとした。
その刹那。
「させません!」
——パンッ。
木村の狙撃が、防壁を形成しようとしていた結晶体の一点を正確に撃ち抜く。
生じたわずかな隙間へ、加藤が踏み込んだ。
加藤は地面を強く踏みしめ、腰を深く落とす。
六尺棍を脇に構え、全身の体重を一気に前へ乗せた。
「っおらあああ!!」
叫びとともに、棍が唸りを上げる。
ただ振っているわけじゃない。
踏み込み、回転、体重移動——そのすべてが一撃のために噛み合っている。
横薙ぎに放たれた一閃が、空気を裂き、結晶体の外殻を正面から叩き潰した。
金属と水晶が砕けるような音。
衝撃が核まで伝わり、表面に蜘蛛の巣状のひびが走る。
加藤は反動を利用して棍を引き戻し、今度は下からすくい上げるように振り抜く。
「まだだ!」
連撃。
核の下部を打ち上げられ、結晶体の巨体がわずかに浮く。
その隙を逃さず、加藤はさらに踏み込む。
三撃目は、叩きつけ。
全体重を乗せた渾身の一打が、ひび割れた核の縁を直撃した。
——バキィッ。
ひびが、決定的な亀裂へと変わる。
小型の結晶体が、悲鳴のような振動を起こして散開した。
「今だ!」
加藤が前に出る。
自分の身体を盾にするように、小型の結晶体を引きつけながら叫んだ。
「中西さん! 三秒で仕留めてください!」
三秒あれば、十分だ。
俺は地面を蹴った。
跳躍。
核に組み付く。
「終わりだ!!」
ナイフを突き立てた瞬間、母体が悲鳴のような振動を起こす。
「木村!」
「っはい!」
最後の一発。
俺の刃が刺さったその一点へ、木村の弾丸が正確に叩き込まれた。
蒼い光が爆ぜ、巨大な結晶体が霧散していった。
*
目を覚ますと、青すぎる空が広がる。
「……生きてる、か」
「ほんっと、よく俺たち死なないですよねえ」
隣から、茶けた声が聞こえる。
「……木村」
「中西さんが無茶するの、今に始まったことじゃないですからね。でも今回は、ちゃんと狙わせてくれたんで」
「……相変わらず戦場ではいい仕事だ」
「中西さんが突っ込んでくれるから、俺は後ろで安心して撃てるんですよねぇ」
そう言って、木村はにやりと笑った。
「……近くに敵影はありませんがもたもたしていれません。行きましょう。俺たちは最強のガードナーなんですから。休んでなんかいられません」
「おーい加藤、少しは一息つかせろよお。俺、さすがに疲れたってえ」
最強のガードナー。俺たちはその言葉をよく口にする。
どんな脅威も、俺たちが殲滅する。
月並みの、何のひねりもない言葉だが、俺たちはキーパーとは違う。結晶体を殲滅することに特化した特殊な部隊だ。
だから、どんな時でも最強でならねばならない。
脅威は軒並み殲滅する。どんな状況も覆す、最強の存在であれ。
俺たちはそう誓ったのだ。
「行くぞ。江の島の脅威を、一匹残らず消し去ってやる」
地に足をつけ、俺は銃を構えた。
*
夜。
鎌倉シェルターの夏祭り。
太鼓の音、灯り、人の笑顔。
ヒヤマさんが、花火を見上げながら言う。
「みんな、誰かに背中預けて生きてるんだね」
「……ヒヤマ、さん?」
遠くで、木村が射的の的を一発で撃ち抜いて、子どもたちに囲まれていた。
「……あのさ、コウジさん。ちょっと私に付き合ってくれない?」
「……付き合うって、どこへ」
「んー、雄太くんの、ところかな」
「……俺でよろしければ」
いつかヒヤマさんについていって訪れた墓所。幾多の墓石の中に、彼女の婚約者は今も眠っているのだろうか。
「……雄太くん、見てる? 鎌倉、救ってもらったんだよ? 今年も夏祭り、開催できてるよ」
「……」
「……私も、今年を迎えられた。終わりに向かってるとしても、最高の夏祭り、開催できたよ」
「……ヒヤマ、さん?」
「……誰も、いないよね」
そう呟いたかと思うと、ヒヤマさんは上半身の水色のパーカーのジッパーに手をかけ、それを下に引き下げる。
「っヒヤマさん!?」
はらりと、パーカーが地面に落ちる。俺は反射的に、彼女に背を向けた。
「……大丈夫だよ、コウジさん。見てくれない? 私の体」
「っ見れるわけないでしょう! 何を考えているんですか! そ、それに婚約者の目の前で!」
「大丈夫大丈夫、脱いでないってば。私、夏は上半身水着なんだよね、暑いから」
相も変わらず背を向ける俺の背中に、ヒヤマさんはそっと手のひらを預ける。
「……私も終わりを待っている人なんだって、分かって欲しかったから」
「……ヒヤマ、さん?」
「こっち向いて、コウジさん」
その少しだけ悲しそうな声に、俺はゆっくりと目を向ける。
その体を見て、俺は言葉を失った。
水着の下から見える完璧なプロポーション。だが、鳩尾から腹にかけて、水色の、硬くなった水晶が……左半身を侵食している。
結晶病。その進行から見ても、彼女の病はかなり進行している。おそらく、もう、数年ももたないくらいの、病状だった。
俺の緊張をなんとか宥めようとしてくれているのか、ヒヤマさんはあっけらかんとした表情で言葉を紡ぐ。
「あはは、あんまり驚かないでよ。結晶病なんてこの世界には珍しいものではないでしょう? あんまり他の人には見せてないんだけど、コウジさんはもう明日にはいなくなっちゃう人だし、見せておきたいなって思ったんだ。それに見せても、あなたは引かないだろうから」
「……どうして……」
「んー、そうだなあ」
ヒヤマさんは地面に落ちたパーカーを拾い直し、羽織りながら海の見えるほうへ歩き出す。
「……私、この世界には結局、終わりしかないと思ってたんだ。……いや、今だって思ってる。今回の江の島の結晶体大発生もね、結局少し諦めてた。また鎌倉は、終わりに向かって行っちゃうんだってね」
ヒヤマさんはくるりと振り向き、少しだけ微笑む。
「けど、江の島にいた結晶体は殲滅されて、あなたたちは無事に帰ってきた。ちょっとだけ、また信じてみてもいいかなって思った。
私の命が結晶になるまで、終わりを迎える日まで、今日迎えられた夏祭りを、見届けられる最後の日まで」
「……そうしたら、俺たちはもっと頑張らなきゃいけないですね」
「ちょっと、頑張り過ぎないでよ?」
ヒヤマさんは空笑いをする。けれど、先ほどより、心から笑ってくれているような、そんな気がした。
「……俺たち、頑張ります。だから、ヒヤマさんも生きてください。夏祭り、また来たいですから」
「しょうがないなあ。できるだけ頑張るよ」
希望なんて数少なくなってしまった世界。
それでも人は、懸命に生きて、笑って、明日を迎える。
それを守るために、俺は今日も武器を持つ。
この終末を、少しでも希望に変えなければならないのだから。
第三章 Everlasting Gazer
──さよなら、ユウさん
彼女が霧散して消えたその日、私のもとに緊急の招集命令がかかった。
場所は新宿。新宿にはJR新宿駅と西武新宿駅があった場所に大きなシェルターがそれぞれ二つある。私が招集がかかったのは西武新宿駅の方面の第二シェルターだ。
悲観している余裕もないまま、渋谷の松濤地区に輸送車が到着し、私は新宿第二シェルターへと向かう。
──さよなら、ユウさん
輸送中もその言葉が頭の中を反芻する。何もできないままに結晶化して消えていったあの子の最後の顔は、満足げに笑っていた。
あのアトリさんの顔が頭から焼き付いて離れない。頭を駆け巡り、私は抱えた両腕に力を込めた。
「三島、気持ちは分かるがもう過ぎてしまったことなんだ。私たちはまた別の誰かの未来を守るしかない。犠牲とも対峙しなければならない時もある」
「……分かっています。新宿に着く頃には気持ちを整えます」
アトリさんの一件を唯一伝えた……蔵田先輩の言葉すら、今はまともに取り合う気にはなれない。だが、渋谷から新宿は案外近い。あと少しで新宿に到着するしいつまでも膝を抱えてうずくまっているわけにはいかないのだ。
「もう少しで新宿第二シェルターに到着する。今回は隊服に着替えろ。新宿第二シェルターは正直治安が悪い。身分を明らかにしておこないとトラブルになるぞ」
「……はい、着く前には必ず」
新宿第二シェルター。
かつて西武新宿駅があったあたりに作られた、歌舞伎町周辺をエリアとするシェルターだ。
反映したかつての面影は無く、風俗店やホストクラブは、苔むした看板でしか確認できない。
「上野のほうからも招集がかかっているようだ、先にシェルターに到着しているようだからそちらと合流しよう」
「了解しました」
ネイビーの隊服に着替え、ハンドガンタイプの銃……エンドゲイザーを携えた。
次こそ守らねばならない。新宿のシェルターの人々を。
そんなことに思いを馳せていた時だった。
「っ!」
背後に嫌な気配を感じた。
その気配の向こうに銃を構える。そこにあったのは、黒くて小さな何か。
投げ込まれたそれからは、火花が散っている。
「っ火薬!?」
輸送車めがけて飛んでくるそれを、私は一閃で撃ち落とす。
それは、私たちから10メートルほど先で宙で爆発する。……爆発といっても、小さな火薬だったようで爆竹程度の音のみを伴う。
「……今火薬を投げ込んだ者は誰だ! 出て来なさい!」
先輩が拡声器を用いてその方向に問いかける。応える者は、誰もいない。
確実に人工で作られた物だ。結晶体の仕業ではない、人間だ。
「……慣れてはいるが歓迎されていないらしい。気を付けて行くぞ。さっさと先に着いたキーパーと合流する。……ちょうど駅前広場があったところに集まっているらしい」
「了解しました」
ここでも私たちキーパーは良く思われていないのだと、痛いほどに痛感する。
私たちキーパーは結晶体が多く現れる地に赴き、その脅威を掃討する者だ。
だが、アトリさんの時のように、時には守れない命だって出てくることも確かだ。
大切な者を奪われる怒り、悲しみなどを向ける場所なんてなく、キーパーはその感情を直接向けられることも多い立場にある。
きっと、この新宿シェルターもそうなのだろう。この地も大切な場所、大切な者を奪われ続けた土地なのだ。
「……行きましょう、先輩」
嫌な予感はしていたが案の定だ。
駅前広場には既に先に着いていた同僚たちがいたのだが。
「……揉めているな」
何やら二人の若者に絡まれている。見た目は十七、十八歳程度の青年たち。
先輩に目配せをされ、私はその視線に誘われるままに彼らに近づいた。
「キーパー蔵田、三島両隊員到着しました。……何やら揉めているようですが」
「……お前らもキーパーかよ」
「そうですが、失礼ながらあなた達は新宿第二シェルターの住人でしょうか」
「ああ、そうだよ」
片方は金髪をつんつんに逆立てた、少々目つきの悪い青年と、片方は黒髪にニットの帽子を被った寡黙そうな青年だ。
「ショーゴ、そろそろ行こうぜ。これ以上絡んでてもしゃあねえだろ」
「キーパーが来るときはろくなことがねえんだ。さっさと消えろよ」
金髪の青年にあたりの強い言葉を吐き捨てられる。
いつもの私だったら、そんな、人々の余裕の無い言葉だって受け止めることができたはずなのに。
「あの、失礼いたします」
「あ?」
金髪の青年は私のことをぎろりと睨みつける。
「私たちがここに来たのは、新宿から脅威を払うためです。どこに赴いても理由はその他ありません」
「おい三島、やめろ」
「はあ? 来るたびにお前らの軍事行動で生活を制限されて、俺たちの自由も制限される。苛立たせる理由なんてそれだけだろうが」
私はまっすぐその青年を見つめる。苛立ち、怒り、目の奥から負の感情を感じる。
「……なんだあ、てめえ。やんのかよ」
金髪の青年は肩を揺らしながら近づいてきた。
「ショーゴ、やめろ! 相手は軍人だぞ!」
「三島!」
私はふうとため息をつく。
そうだ。キーパーである私たちは彼らにとって災いみたいなものだ。
私たちがいるということは、結晶体の危機がそこにあるということなんだから。それが払われたとて、彼らにとっては自由を束縛されたという事実しか残らない。
「前、仲間がやられた時だってキーパーは何もしてくれなかった。間に合わなくてすまなかった、それしか言わなかった。弔いだって俺たちがやったんだ。お前らは俺たちにとって鬱陶しい存在でしかねえんだ、だからさっさと消えろ」
──さよなら、ユウさん
頭の中に、アトリさんの顔が思い浮かんだ。
私は、アトリさんに何もできなかった。間に合わなかった。弔いだってしていない。だって、アトリさんは、跡形もなく消えてしまったから。
「っ……だったら、どうして私たちは……」
その先の言葉を紡ごうとしたその時だった。
「おい、いい加減にしな」
ふと、少し低めの女性の声が聞こえた。
その方向に目を向けると、金髪の長髪に、臍が見えるタイプの白のノンスリーブ、それに黒い薄めのアウターを羽織った女性が歩いてくるのが見えた。
「っシ、シエラさん……あ、いやその、これはですね」
「仕事で来てる軍人さんの邪魔するとは見下げた根性してんね」
「い、いやいや違いますって! 俺はただシエラさんのライブが見られなくなると思って、やべえと思って抗議しに来ただけなんです」
「ライブと命の危険、どっちが大事なんだよ。キーパーが来てる意味分かってんの?」
「……すみません」
ふわりとした長髪。すらりとした体形、顔は非常に整っており、芸能人にいてもおかしくないほどの美貌を持った女性だった。
オーラが違う、という言葉が似合う。私のほうも思わず背筋が整ってしまう。
つかつかと歩みを進め、やがて女性は私の目の前までやってきた。
「キーパーさん、ごめんなさいね。うちの馬鹿が迷惑をかけまして」
「い、いえ。私こそ、変な絡み方をしてしまいまして申し訳ございません」
「新宿の結晶体、やばいですよね。それまでは大人しくしてます。こいつらにも絶対邪魔させませんし、何か協力してほしいことあったら言ってください。一応私に通せば伝わると思いますから」
そう言って笑みを浮かべる。そのふわりとした笑顔に、思わずどきりとしてしまう。
「……あなた、どこかで見たことあるような」
「気のせいだと思いますよ。ところで拠点を作りたいのでは?」
「ああ、その話は私が。……あなたがこのシェルターを取り仕切っているのですか?」
「シェルター長はいますが、若いやつらは私を慕ってくれてますし、私に話をしたほうが手っ取り早いと思いますよ」
「では、この駅前広場に拠点を作りたいのですが可能でしょうか?」
「ええ、構いません。話も通しておきます」
「シ、シエラさん! ラ、ライブは……」
「うるさい。中止だ。というかキーパーさんが結晶体をなんとかしてくれたらすべてが元通りになるんだから我慢しろ」
「そ、そんなあー……俺の唯一の楽しみが……」
そう言いながら金髪の青年は落胆する。
「反省しろ金髪ウニ野郎」
「ヨウジだって俺についてきたんだから共犯だぞ!」
「……お前と一緒にするな」
「あ、あの。先ほどからお話に出ているライブ、とは?」
思わず私がそう聞き返すと、金髪の青年が口を開く。
「言葉の通りだよ、明日、この駅前広場でシエラさんがライブをやってくれる予定だったんだ。それなのに、それなのにお前らが来たから……」
「音楽、ライブですか?」
「……お前、本郷シエラ知らないのか? 本物だぞ」
本郷、シエラ?
「……え、えええ!?」
思わず彼女から一歩退いてしまう。
本郷シエラ。十年ほど前、まだ結晶体の危機が日本中に蔓延る前、文明もまだ栄えていた時代。圧倒的なルックスと抒情的な歌唱で、日本中で名を馳せた若きロックシンガー。さすがの私だってその名前は知っている。
「やめてよやめてよ。私はただの一般人。嬉しいことにたまーにこうやって急かしてくれる人がいるからライブをたまにやってるけどさ。キーパー相手にはさすがに逆らわないよ」
呆然とする私の代わりに、先輩が言葉を紡ぐ。
「それではさっそくこの広場に拠点を作らせていただきます」
「もちろんです。……おーいお前ら! 手伝えることあれば手伝えよー!」
本郷さんが広場にいる若者たちに呼びかける。
「ショーゴ、ヨウジ、お前らは一回帰れ。何するかわかんないし」
「……シエラさんがそう言うんなら何も言いませんよ、そもそも俺、ショーゴについてきただけですんで馬鹿と一緒にしないでください」
「……ああそうね、ショーゴ、こっち来い」
本郷さんは、金髪のほうの青年……ショーゴさんに手招きをする。そして私のすぐ目の前に来ると、ショーゴさんの後頭部をがしりと掴み、そのまま前に倒した。
「本当にごめんね。あんたは仕事で来てるのに無礼なことしちゃった。……ほらショーゴも謝れ」
「……すみません、言い過ぎました」
不精顔で頭を下げるショーゴさん。
「あ、いや……私こそごめんなさい。少し気持ちに余裕が無くて、つい言い返してしまいました。……あの、私たち、なるべく早くここを出られるように頑張りますから」
「そこまで私たちに気ぃ遣わなくていいよ。さっきはショーゴがあんなこと言ったけど、こいつも本当は分かってるから」
「……ありがとうございます」
「私、家もこのへんだし、このあたりぶらついてると思うから、何かあったら声かけてよ。ショーゴ、行くぞ」
私たちに踵を返し、二人は広場を去っていった。
「……」
「どうした、三島」
「……あの人、どこかで会った気が……」
「テレビの中だろう? 本郷シエラなんて超有名アーティストじゃないか。まさか新宿のシェルターにいるとは思わなかったから私も驚いた」
「テレビの中……そうですよね」
どうしてだろうか。
あの人が近づいてきた瞬間、すごく懐かしい感覚を覚えた。
「三島、急いで拠点を作るぞ。一部のガードナーも来るとのことだ。それまでになんとかしておかねばな」
「了解しました」
「ほんっと、シェルターの周りで毎日ドンパチドンパチ。キーパーさんが慌てて新宿に来る理由も分かってきたわ」
「……」
掃討が無い時間は、私は拠点やシェルターの入り口で警備を任せられている。そんな生活が三日、四日と経ったが、その間、本郷さんは私のもとに来て積極的に話をするようになった。
と言っても、私たちキーパーはシェルターの住民との不用意なコミュニケーションは原則禁止されている。あちらが良かれと思って話しかけてくれているのにも、私は反応したくだって自分らしい反応はできないのだ。
そんなことお構いなしに、シエラさんは私に接触してくる。
「怪我しないようにね。私が言ったってなんの意味もないけどさ」
「……あの、本郷さん」
「シエラ、でいいよ。シェルターの人もそう呼んでるし」
「……シエラさん、あまり話しかけられると私が怒られます。住民と接触することは最低限にするように言われていますので」
「ふーん、キーパーも大変ね。で、また結晶体が出たら行くわけね」
「……人の話、聞いてましたか?」
「ごめんごめん聞いてるよ。仕事の邪魔ってわけね」
「……恐縮です」
ベンチに座っていたシエラさんは立ち上がる。
「……ところでさ、あんた、めっちゃ顔色悪いけど大丈夫? あんたがここ来た時から思ってたけど」
「え、そ、そうですか?」
「……ショーゴも割とひどいこと言ったみたいじゃん。それも気になってて。ほんとごめんね」
シエラさんに心配そうな眼差しを向けられる。まさか、シェルターの住民に心配されるなんて思っていなかったから、私は慌ててしまう。
「え、い、いや。気にしないでください! 色々と言われるのは慣れていますし」
「……それ、慣れちゃだめなものじゃない? ……ま、なんかあったら言ってよ。前も言ったけど、私、このシェルターでは顔が利くほうだから。ショーゴみたいな無礼なやつも引っぱたいて言うこと聞かせる」
「ほ、ほんとに大丈夫ですって! あ、ありがとうございます。心配してくださって」
「……昔、なんでも一生懸命やっちゃう子が身内にいたからさ。それもあってね、ちょっと心配になるわけよ」
「ご家族か何かですか?」
「まあーそうだね。きょうだい、かな」
「……あ、あの」
「ん、何?」
「……い、いえ、何でもないです」
「なぁんだよ、やっぱ疲れてんじゃない?」
そう言いながらシエラさんは歯を見せて笑う。その笑顔があまりに綺麗で、私はまたどきりとしてしまう。
整いすぎている顔立ち。長い睫毛。こんな終わりに向かう世界なのにつやつやでふわりとした金髪。きめが細かい白い肌。
彼女の美貌からなんとか意識を外そうと、私は言葉を紡ぐ。
「……名前、お伝えしてませんでした。私は三島といいます」
「……下の名前は?」
「由宇です。自由の由に宇宙の宇」
「……由宇……そっか……」
「あ、あの?」
「あ、いや、ごめんね。……あのさ、不用意に接触するのがだめって言われたとこだけど、ちょっと、付き合ってくれない?」
「どうされたんですか?」
「……んー、私たちの生活、キーパーさんにも見てもらいたくて。他のキーパーさんが巡回に来たことはあったけど、あんたは外の巡回との拠点しかほぼいないでしょ? 私、いったん家帰ろうと思ってたし、ついでに案内しようと思って。このシェルター、よそ者にはちょっと治安悪いことは自覚してるし、見て回るなら良いチャンスなんじゃないかな」
「……いや、そういった個人行動は上長に聞かないことには」
「大丈夫、ここに来る前にいっつもそばにいる女のキーパーさんに聞いてきた。正午には返すからあの茶髪ポニテのキーパーさん貸してって」
「私はおもちゃですか……え、女のキーパーって蔵田先輩のことですか? なんて言ってました?」
「過程はもう少しあったけど了承してくれたよ。なんとかしとくって。だから今日あんたのとこに来たんだよね」
「……嘘ついてませんか?」
「嘘はついてないよ、マジで本当。……ってことでさ、ついてきてよ。……了承は得ても目立たないようにって言われてるし、できるだけ裏路地通っていくよ」
「え、え? 今から? シエラさんの家?」
「そ、ほらほら」
「え、っええ?」
「ほら、緊急事態起こったらすぐ行かなきゃなんでしょ? 今のうち今のうち」
シエラさんが私の右手を引く。
「ちょ、ちょっと! シエラさん!?」
大した力ではなかったが、その右手の熱に、私はついていくしかなかった。
*
二十年前ほどだっただろうか、私がまだ家族と一緒に住んでいた頃。父親は自衛隊でほぼ家にはいなかったので、母親と、姉と過ごすことが多かった。
私の姉は本当に心配症で世話焼きだった。多分、そそっかしくて色んなところにちょこまかと行ってしまう私が心配でたまらなかったのだと思う。まだお互いに幼かったのに、年齢に似つかわしくないほど大人で、優しい人だった。
だが、私が五歳の誕生日を迎えてひと月が経過した頃、両親は離婚し、私は高崎の父の実家…姉は当時住んでいた府中のアパートでそのまま暮らすことになった。
父は相変わらずほとんど家にいない人で私は祖母に育てられるようになったが、祖母はなぜか母のことを毛嫌いしている人であった。案の定、姉とも会うこともできず……私は小学校、中学校、高校と……そのまま大きくなっていった。
ちょうど中学校の二年生にさしかかったあたりだろうか。九州方面で隕石が飛来し、そこら周辺の建物、人間が透明色の結晶と化す現象が相次いだのは。
最初はオカルトの類か何かかと思っていた。だって、人間が鉱石のような物質になるはずなんてない。多分、世間も同じだったのか、事実を世間に発信させたくなかったのか……ニュースではまるでオカルトのように、あとはワイドショーでお茶の間に発せられる程度。
ワイドショーで流れる九州方面の謎の隕石飛来のニュース。自衛隊を目指すようになったら、あの場所に行かなければならないんだろうか。そんなことに思いを馳せていると、やがてそれはワイドショー内で流れるミステリー現象でもなんでもなく、世界、そしてこの日本中を脅かす存在となっていった。
そして高校三年生……私が住んでいる関東近郊にもついに謎の隕石が飛来した。
その頃にようやっと謎の隕石が「結晶」と呼ばれ、そこから謎の無機生命体……「結晶体」が跋扈し、人類を脅かすようになる。
大好きだった家族はもう生きているかどうかさえ分からない。それに、キーパー発足の後ガードナーとなったらしい父も殉職した。
そんな理不尽な世界に私は生きている、別の誰かの未来を守らなければならないんだ。
「運よく人にも会わなくて良かったわ。ここが私の部屋。せっまいし快適かと言われると微妙なとこだけど」
「……あ、あの、お邪魔します」
「はいどうぞ」
改めて、今の訳の分からない状況を整理する。
どうして私は一シェルター住民の暮らす個人的な部屋にあがりこんでいるのか。何度頭で反芻しても理解ができない。
「そこのソファにでも座っててよ。支給品のコーヒーくらいしか出せないけど良い?」
「い、いいえ! 本当にお構いなく」
「私が引っ張ってきたから構わなきゃなんだよ、ほら、座っときな」
促されるまま、一人分には少し大きめの黒の革のソファに座る。少し古いが手入れはきちんとされているのだろう。目の前には、ガラスでできた黒のローテーブル。それ以外は、少し古めの一人用の部屋という感じだ。
「そのソファはベッドと兼用。シェルターで暮らすってなった時にホストクラブにあったやつを色々拝借してきた。キッチン道具もそこから。ここは飲食店も充実してるし歓楽街でもあったからね。住居に必要なものは困らなかったかな」
そんな話をしていると、ふわりとしたコーヒー豆の良い匂いが漂ってきた。
「あの時は、新宿でライブだったんだ。その時だったかなあ、隕石が落ちたーってさ、このあたりも大騒ぎよ。……私はしばらく新宿で避難することになって……当時は六本木のほうにマンションがあったけどそこまで移動もままらなくなったし、家のほうも危険ってなってそのまま新宿に移住。そこからはこのシェルターの住人」
「シエラさんくらい有名な方だと、目立ったんじゃないですか?」
「そりゃあねえ。新宿に私のファンもいっぱいいてくれたみたいでさ。……けど、こんな世界じゃあ一住民として過ごさなきゃいけないし、困ってる人がいたら手を取り合いたいしさ。あんまり芸能人感は出したくない。……なぜか今でも目立っちゃうみたいだけど」
「そりゃあ……自然にしてたって目立ちますよ、シエラさん。美人すぎますし。私も近くで見てるのが信じられませんもん」
「そういう扱いが嫌なんだって。ほい、コーヒー」
シエラさんは苦笑いしながらマグカップに入れたコーヒーを差し出す。素直にそれを受け取ると、静かにそれを啜った。
コーヒーなんていつぶりに飲んだだろうか。ふわりとしたコーヒーの香りが体を巡る。
「由宇、ちょっとは一息ついたら? 顔ガッチガチだよ」
自然に私のことを名前呼びすることに少し戸惑いを感じたが、私はそのまま応対する。
「コーヒーもいただいてますしリラックスしてますよ。表情が固いのは……この身分でヘラヘラ笑えるわけがないじゃないですか。私はキーパーなんです。住民のみなさんにだって苦労をおかけしています」
「別にあんた達のせいじゃなくない? シェルターでは限りあるライフラインを切り崩して生活してるのは事実だけど、命をかけて私たちを守ってくれているキーパーに、少なくとも私は感謝しているよ。命を守るために必要な電力、ガス、諸々を差し出すのは当たり前じゃないかねえ」
「そう思っていただけている方がいるだけでも報われます」
「ほら、顔ガチガチだって。ちょっとは笑いなよ、私以外誰も見てないんだしさ」
シエラさんはマグカップをテーブルに置くと、私の隣に腰掛ける。そして──両の頬に手を当てられ、そのまま引き延ばされた。
「っむぐ! な、なにふるんへふか!」
「ほら笑えるじゃん」
「や、やめれくらはいー!」
ニコニコしながら両頬をつねられ続けると、さすがの私でもやり返したくなる。
私もマグカップを置くと、一矢報いるために右手をシエラさんに伸ばした。
だがシエラさんは私の右手首を掴み、渾身の力でそれを押し返した。
「っははは! ほんっと可愛いなあ」
「~~~~~~!」
頬がかあっと熱くなるのを感じた。そんな私の様子を見かねたのか、シエラさんは体の力を緩める。
「やっと緩い顔になった。そっちのが可愛い」
「っかわいいって、私のこと馬鹿にしてます!?」
「してないしてない。ごめん、茶化しすぎた」
そう言いながらシエラさんは私の頭を撫でる。その時だっただろうか。ふわりとした、まるで心のつっかえが一つなくなるような、そんな感覚がしたのは。
「ちょっと心配だっただけ。それだけだよ。それ以上のことは何もない」
その時に見せたシエラさんの表情が、少し寂しそうに見えた。
「……シエラさんにはきょうだいがいらっしゃったんですよね」
「うん、そうだね。寂しがり屋でそそっかしい子でさ。活発で勝手に色んなとこ行くわ夜はびーびー泣くわおねしょするわ大変だったんだわ。……ま、もういないんだけどね」
「……そう、ですか」
「ごめんね、ちょっとあんたを重ねてるのかもしれない」
「い、いえ。いいんです」
「あんたって、どうやってキーパーになったの?」
「私は……もともと親の影響で自衛隊に入隊することが夢でしたから、高校卒業と同時に自衛隊に入隊する予定でした。……高校の時に結晶体の危機が拡大していって、結晶体の耐性があると分かり夢見ていた陸自ではなくキーパーの配属になりましたが、私が必要な役目が与えられたのは嬉しく思っています」
「……ふぅん。親も自衛隊だったの?」
「はい、父は陸上自衛隊でした。その後父も結晶体の耐性があると分かりキーパー……中でも精鋭部隊のガードナーになりました。……数年前に殉職しましたが」
「……そう……」
「あ、ご、ごめんなさい。暗い話になってしまいました」
「いや、いいよ。……その、お父さん、亡くなったのに、あんたは怖くないわけ? どうしてそんな、キーパーなんて危険な仕事を続けられるの?」
「父は亡くなってしまいましたが……大好きだった家族は今でもどこかで生きていてくれるかもしれないじゃないですか。どこにいるかは分からないけど、大切な人の未来を守っていきたいから」
「……そっか……長居させすぎたね。そろそろ帰らないとさすがにあんたが怒られるか」
「あ、は、はい」
「けどあと五分ちょうだい。そこ、座って」
「……?」
「昔とった杵柄、聞かせてあげるから」
ソファから勢いをつけて立ち上がると、部屋の片隅に置いてあったアコースティックギターを手に取り、私の隣に戻ってくる。
弦に引っ掛けてあったピックを手に取ると、右手を落とす。
ジャラン……と、最初のストロークが空気を震わせた。
その時、私の景色が、一段と色を染めていくのを感じる。ギターの音が私の心臓を通じて床を伝っていく。
唇が開いた。その時に、部屋の中に張り詰めていた残暑の名残が、すうっと澄んでいくのを感じる。
彼女の表情は歌の中に囚われていて、まるで……彼女と、私が世界でたった二人でいるような錯覚に陥る。
それが不思議と温かくて、泣きそうで、息をするのを忘れてしまいそうだ。
少しだけ、彼女の目がこちらを霞めたような気がした。
私の存在がここにあることを知らせてくれるかのように、彼女はふわりと笑って、また弦に目を向ける。
そんな時間が、どれだけ経ったのだろうか。
最後の音が消えても、静けさの中にまだ旋律が残っているようで──
──その時だった。
『三島!! 聞こえるか』
腰に下げた無線インカムから右耳を通じて声が聞こえる。先輩の声だ。
意識の現実に戻し、私は慌ててその声に応対する。
「は、はい!! すみません、そろそろ戻ります!!」
『ああ、そうしてくれ。ちょっとまずいことになっている』
「は、は?」
『とにかく戻ってこい。出動の覚悟も含めてな……あとすまん、隊長にお前が抜け出したのはバレた。フォローはしたがあとで絞られてくれ』
「っはい!?」
「……こんな巨大な結晶体、今までどこに潜んで……今だってアラートの分布にも出ていませんよ? 何かの間違いじゃ……」
「間違いなら構わないが、だったらあの画像の結晶体はどう説明する?」
新宿第二シェルターにいる全てのキーパーが集められ、モニターの前で隊長が今後の作戦についての話をしている。
先輩と並んで見ていたモニターには……部屋の中が真っ白に染まり、その中心にルビーのように赤くて大きい物体が、脈打つように鼓動をしている。あんな色の結晶体、見たことがない。それに、画像上で見ても、通常の結晶体よりはるかに巨大で……面妖だった。
「こいつから先日、爆発のような現象が見られた。……幸いにも被害は無かったが、こんな現象が起こっているのは明らかに異常事態だ。結晶体は結晶から生まれる。何かの予兆である可能性もあるし、動きがまだない今のうちに叩いておくべきだという判断に至った」
私は、こくりと唾を飲む。今まで出会ったどんな結晶体よりも明らかに大きい。
「……隊長。そいつの弱点は把握されているのですか? 未確認の結晶体に無知で挑むのは明らかに早計かと思われます」
「今から話す。……先日、鎌倉で掃討を行っていたガードナー部隊が、これと似た個体に遭遇している。その際は真ん中の物質を叩いたら消滅したそうだ。解析の結果この個体も似たものである可能性が高く、討伐の方法も概ね同様という判断だ。ついては我々は明日、都庁内に巣食っているこの結晶体の掃討に向かう。今回はこの結晶体を叩くことが最優先だからな、……吉田を警備のためシェルターに置き、その他のキーパーは都庁内で結晶体の掃討を行う。万が一シェルターにたどり着くなんてことがあったら大惨事になる。動きが出る前に叩くぞ」
東京都庁。東京の行政機関の中心であった場所。そして、新宿区が地獄に見舞われる原因となった場所。
新宿区はそもそも、都庁に結晶体が直接落下し甚大な被害が出た区域だ……あの近くにいた人間の半分が結晶化して失われた。
あれ以来、都庁広場は結晶の透明な蒼白に覆われ、生き残った動植物も寄り付かない忌避される場所になる。……といっても、それ以外で特に結晶体が大発生したとか、大災害が起こったとかそういったこともなく、ただ、静寂だけが寄り添う場所となった。まさに触らぬ神に祟りなし、といったところか。
「三島、柄にもなく顔が固いな」
「……あんなに大きな結晶体、対峙するのは初めてですから」
「私もあんなに巨大な個体は久々だよ。大仕事になるな」
「そう、ですね」
「まあ、しかし」
先輩は私の背中をぽんと叩く。
「お前は優秀だ。同期の中でも体力も申し分ない。ゆえにこの立川支部のキーパー第一部隊に配属された。だからこそ私もお前に期待している」
「……恐縮です」
「大丈夫だ、私もついている。今、この任務についていることを誇りに思え。私たちは、ここにいる人々の未来を守るためにここにいるんだ」
そうだ。私は、ここに生きている人の未来を守るために、キーパーになった。
「はい、守ってみせます。私はキーパーですから」
モニターに映し出された巨大な結晶体。それをまっすぐに見据え、私はそう呟いた。
*
妹は、本当に泣き虫だった。お母さんがそばにいないってだけですぐ泣くし、転んだらすぐ泣くし、夜のトイレも怖くて泣くような子だった。
親の離婚が決まって、私は東京、妹は群馬の父方の実家で暮らすことになった時も、ずっと妹は泣いていた。お母さんと、私と離れたくないと。ずっと泣いていた。
「大丈夫だよ、すぐ会いに行く。それに、大人になったら、お姉ちゃんが必ず迎えに来るから」
だから、泣かないで。
「由宇のことは、私が守るから」
作戦当日の早朝。私はシェルター入口で警備の任にあたっていた。
大きな作戦であっても小さな結晶体の個体の危機は払わねばならない。私を含めた数名がシェルター周辺の警備を行い、先輩たちのようなベテランのキーパー達は作戦の最終確認に回っていた。
大きなため息。生暖かい自分の呼吸を感じた。それと当時に、腰に下げてあるエンドゲイザーに触れる。
冷たい。こんな無機質な一本の銃と、警棒とナイフが一本ずつだが、これを扱える人間は、結晶体の耐性があるキーパーだけだ。
そして、結晶体を滅することができるのは、エンドゲイザーを扱える、私たちキーパーだけしかいない。
だから私はここに立っている。ここにいる人たちの未来を、守るために。
「よ、キーパーさん。元気?」
こんな早朝なのに、まだ朝闇に包まれている時間なのに、後ろから声をかけられた。振り向くと、そこには少しだぼっとした長袖に身を包んだ、金髪の美しい女性が立っていた。
「どうしたんですか、こんな早い時間に」
「なんか外から物音するから早く起きちゃってさ。窓から外を見たら、キーパー達がいそいそと走っていて、あんたはシェルターの出入り口に立っていた」
「すみません、起こしてしまいましたか」
「朝から元気だねえ。やっぱ軍人さんは体力が違う」
「さすがに風邪引いちゃいますよ、ご自宅に戻って下さい」
「大丈夫よ、長袖着てるし。それにちょうど、あんたを捕まえたくて」
「どうしたんですか?」
少し間を置いた後、シエラさんは少しうつむいたまま口を開く。
「……昨日、噂が回ってきた。でっかい結晶体をやっつけに行くんだって?」
「……どこから漏れ……いや、それに関してはノーコメントです。私の口からは何も言えません」
「あんたってほんと、嘘つけない人だよねえ」
シエラさんは私のそばに腰を降ろした。
「……あんたも、行くの?」
少し不安げに私のことを見上げる。
「……」
目線を合わせるように、私もシエラさんの傍らに腰を落とす。
「はい、行きます。私たちしか結晶体に立ち向かえる者はいませんから」
「……そう、だよね。あんな真っ白になった都庁に結晶体なんて本当にいるの?」
「……どうして、都庁って知ってるんですか」
「あんねえ、このシェルターにいる以上軍人の立場だって秘密の話なんて無理よ。みーんな噂話好きなんだからすぐ回っちゃうよ」
「……まさか……私から話を聞き出すつもりで近づいたんですか?」
「いや、あんたを脅かすつもりなんてない。あんたのそばにいる時は何の意図もない。それは信じてほしい」
「……」
「……あんたの命が危険にさらされると思ったらそわそわしちゃってさ」
シエラさんはそう言うとふうとため息をついた。
二人横並びの状態で、シエラさんは口を開く。
「……絶対、帰ってきて。私、待ってるから」
「……」
私は、そっとシエラさんの手に、自らの手を重ねる。
「震えてるよ、手」
「……ずっと、です。作戦が伝えられてから」
「……怖いよね」
「……怖い、なんて思ってはいけないんです。結晶体と戦うことが、私の役目ですから」
そんなことを呟くと、ふと、重ねたままだった手の平を握られた。
「震え、収まった?」
シエラさんの手の熱が伝わってくる。この人といる時はいつもそうだ。理由は分からないけれど、優しくて、温かい気持ちになる。
だから私は少しだけ、この人に寄りかかりたくなってしまう。
「……すみません、もう少し、このままでいてもいいですか?」
「うん。もちろん。……ってか、早朝はさすがに寒いわ。もちょっとこっち来てくれない?」
「え? こ、こうでしょうか」
「そんな遠慮がちじゃなくって、ほらもっと」
肩がぶつかるほどシエラさんの身体が密着した。
心臓が鼓動を荒げた。こんな崩壊した世界でなければ、日本で大人気だった歌手が隣にいる。先ほどは私から手に触れてしまったのだけど、私、もしかしたらとんでもないことをしているのではないか。
手も繋いだままだったから、私のほうから距離を取ることもできなくて、そのまま密着する形になってしまう。
「帰ってきたら、もう少しゆっくり朝焼けが見れればいいね」
「……はい。誰も欠けずに必ず帰ってきます」
「待ってるよ、由宇」
私はシエラさんのほうを向き、こくりと頷いた。
*
東京都庁は真っ白だった。
都庁広場も真っ白になっており、広場にある像も、結晶になったのか根本から折れていたり、一部が砕けてしまっている。
恐ろしいほど広場は閑散としている。こんな場所に本当に結晶体が潜んでいるのか疑うレベルだった。
この静寂が、逆に恐怖を湧きあがらせる。ここだけが時間と隔絶されているようだった。
「目標は都庁三階南だ」
銃を構えたまま、私たちは隊列を崩さず走る。急ぎながらも結晶体は取りこぼしてはいけない。そう思い気を張っているが、恐ろしいことに都庁内も閑散としている。こんなところに本当にあんな巨大な結晶体が潜んでいるのか疑うレベルだった。
階段を上っている最中も足音や気配がまるでしない。ただ、私たちキーパーの進む音だけが廊下を反響する。
「……静か、ですね」
「……そうだな。……ここまで結晶体がいないのは奇妙だな。あの巨大な結晶体が本当にいるのなら……何か他の結晶体を呼び寄せないような作用が働いているのか……ただ単にたまたまなのか。……答え合わせはしようはないが、注意して進むぞ」
ひたすら進み、三十分程度が経過しただろうか。いまだに結晶体との遭遇はない。
こんなに結晶体が跋扈する世界で、何もいない静寂がある。逆に気味が悪い。
「そろそろ三階だ。皆、気を引き締めろ」
銃を握る手にも力がこもった。
この先にあの結晶体がいる。
ガラス張りの扉の先を見通すと、そこには──
「……っ……」
思わず息をのむ。そこにいたのは、今までに見たことのない物体。
強いて言うならば、巨大な繭のような物体。天井までつく大きさで、自らを固定するように、その周りは糸のような物質を帯びている。
その中心はルビーのように赤く光っており、まるで呼吸をするように脈打っている。
あれは結晶体なのか。今までに見たことのない眼前の光景に、思わず言葉を失う。
そして、今まで結晶体に出会って来なかったが、あれの周りを複数の節足の結晶体が取り囲んでいる。まるで、あの結晶体を守るように。
「やっと結晶体のお出ましだな。まずは周りの結晶体を叩きつつ、あの赤い物質を攻撃する。我々が周囲の結晶体を掃討する。蔵田と三島はその隙に大きいのを叩け」
「っ了解しました」
「っ行くぞ!」
私たちは走る。巨大な結晶体まで、おおよそ全力で走れば10秒もかからない。だが、私たちの存在に、あちらも気づいているようだった。
小型の結晶体が私たちキーパーに向けて動き出す。その時だっただろうか。ごぅんと、巨大な結晶体から唸るような音があがったのは。
「っ向かってくる結晶体は倒せ!」
私の目の前にも、見慣れた結晶体が立ちはだかる。
警棒タイプのエンドゲイザーを腰から抜き、構える。右足を踏み込み、それに向かって駆ける。
素早く節足の結晶体の懐に潜り込み、警棒で突いた。
ドン、という衝撃が体に走り、結晶体が罅割れていく。
だが、これで一息はつけない。そのまま私は目標に向かって走り出す。
警棒から銃へ構え直した。
そして──
「っ撃ちます!」
地面を踏み込み、巨大な標的に向け引き金を引いた。
閃光は空気を裂き、直線状に繭の結晶体へ向かって行く。
当たった。
だが、私の攻撃は外殻に弾かれ、霧散していく。
「っ三島!! 下がれ!!」
後ろから声が聞こえた。
そう思ったときには遅かった。
繭の結晶体の赤い心臓が私の前でいっそう輝きを放つ。
目なんてないのに、その赤い鼓動にぎろりを睨まれたような気がした。
あ、これ、死ぬ。
地面の感覚が消失する。ぐらりと、身体のバランスが崩れていく。
鼓膜を裂くような轟音。
身体が宙に浮いた。その刹那、黒い視界とともに、身体が落ちていく。
「っあ」
ずんという、今までに感じたことのない全身への衝撃。
何が、起こっている?
目の前も、真っ暗だ。
鈍い衝撃が続き、意識が遠くに持っていかれる。
──三島!! 絶対に助ける! だから死ぬな、絶対に!
薄れる意識の中で、遠くでそんな声が、聞こえた。
*
埃や塵まみれの状態でキーパーが帰ってきたのは、正午過ぎだっただろうか。
その厳格な面持ちから、都庁の結晶体の討伐はできずに帰って来たのだとすぐに分かった。
大丈夫とは心の中で信じたいが、あんな様子のキーパーを見てしまうと、心の中のざわめきがより一層増してしまう。
どうやら今私の眼前にいるのは一部のキーパーだけのようだし、先ほどから時間差で帰還しているようだったし、きっと大丈夫だ。あの子はきっと帰ってくる。
「都庁の化け物、ほんとにいたんですね。トーヨコのやつらが前々から噂してましたけど。なんか赤く光っててその割に動かないし、でっかい虫の繭みたいでめっちゃきもいらしいです」
「……」
「……結晶体って成長するんですかね。他のやつも虫みたいな形してるし」
私を慕ってくれる青年、ヨウジもその様子をじっと見つめていた。喧嘩っ早くて口が悪いショーゴとは昔からの腐れ縁らしく一緒にいることも多いが、彼自体は非常に寡黙な性格だ。だが人と関わるのが嫌いというわけではなく、ただ口下手なだけ。その代わり人当たりは悪くないらしく、そのせいか彼の周りにはいろんな情報が集まってくる。言うなれば、シェルターの情報屋……というべきか。耳もいいらしく、歩いていると色んな情報が入ってくる。そんなことを言っていた。
「……あの、シエラさん。ショーゴと喧嘩してたキーパーと仲良かったでしょう。だから言うんですけど」
「……なんだよ、そんな言いづらそうな顔して」
「……都庁に残ってるらしいです、あのキーパー」
「……は?」
「戻ってないらしいです。……爆発に巻き込まれた、とか聞こえましたけど」
「お前、それ、何言って」
「……黙ってたらシエラさん、怒りそうだなって思ったので」
「いや、怒るとかじゃなくて、何言って」
「……すみません、あとは分かんないです」
「残ってるって、戻ってないって……あんなみんなボロボロの状態で戻ってて、なんで由宇だけ」
「……」
「いや……お前も分かんないんだよな、ごめん」
声を荒げた私を、バツが悪そうにヨウジは目を反らす。
「……あの、怒らせたら悪いんですけど、なんでシエラさん、あのキーパーに執着するんですか? ……家にも連れ込んだらしいですし」
「お前、何で知って……! ……いや、そもそも連れ込んでないから!」
「……まさかシエラさんって、そっちの人ですか?」
「ヨウジ、それ以上言ったら殴るぞ」
「……冗談です。けど、なぜなんだろうって、普通に気になって。毎日会いに行ってるじゃないですか」
「……お前には関係ないよ。それにお前とショーゴがここに来た時も私、けっこう手ぇ焼いてたはずだけど?」
「……そうでしたね。……ともかく、あのキーパーのこと、分かったら伝えます。どうせキーパーの話なんてみんな聞き耳立ててるだろうし。……すみません、俺、昼にショーゴに呼ばれてるんで行きます」
「うん、ありがとうな、ヨウジ」
そう言ってヨウジはそそくさは去っていく。
「……由宇、嘘でしょ。どうして……」
心臓がばくばくする。由宇が本当に戻っていないという証拠もないし、残っていたとしても経緯など全く分かっていない。けれど、悪い想像がどんどん頭を駆け巡る。
何かに巻き込まれたのか? 怪我をして動けなくなっているんじゃないか。そもそも無事なのか。
「本郷さん」
びくりとして後ろを見ると、……由宇と一緒によくいるキーパー……蔵田さん、だっただろうか、その人が立っていた。
蔵田さんも都庁にいたのだろう。身なりはそれなりに整えているが、ところどころ隊服に埃を付けていた。
「良かった、無事だったんですね。シェルターに被害は無いですか?」
「あの、キーパーさん、由宇は? 帰ってないって、聞いたんですけど」
「……」
少し目を丸くした後、すぐに蔵田さんは私のほうに向きなおす。
「私は今、シェルターに被害がないか、見回りに出ているんです。大丈夫でしたか? 何もありませんでしたか?」
「っ答えてください、由宇は、無事なんですよね」
「……本郷さん」
「っお願いです、教えてください」
埃が付いた彼女の肩口をぎゅうと握りしめる。それまで平然を崩さなかった……いや、由宇も言っていた。住民とは意味もなく関わってはいけないと。だから目の前の彼女だって一住民の私に色々漏らすわけにはいかないのだろう。それでも蔵田さんは口を開いてくれる。
「……すぐ助けに行きます。ですから……」
「どうして、どうしてあの子だけ、みなさん帰ってきてるんですよね」
「落ち着いてください。あいつのGPSは反応していますし、近くに結晶体も近寄ってはいない。しかもあいつは優秀です。一人でもある程度の判断はつくはずです」
「……っ……そんな、何があったんですか……」
「……申し訳ありません……いや、ともかくシェルターに被害は無いでしょうか。私はそれを確認してすぐ拠点に戻りたいんです。あいつを助けなければなりませんから」
「っ……大丈夫です、何もありません」
「ありがとうございます。……本郷さん、大丈夫です。あいつのことを絶対に見捨てたりはしません、信じてください」
蔵田さんは真っすぐ私の目を見据える。その真っすぐすぎる視線に、今まで暴走しそうだった思考、心臓の高鳴りが、少しだけ落ち着いていく。
その直後、蔵田さんの腰についていた機械から、けたたましい音が鳴り響く。
「……すみません、呼び出しです。私は戻ります。本郷さんも安全な場所にいてくださいね」
一礼をし走り去っていく背中を見届ける。
一度住民たちが集まる西武新宿駅跡地の広場に戻ろう。そう考え踵を返そうとした。その時だった。
「シ、シエラさん! いたいた!」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえる。目を向けると、そこにはショーゴと……先ほど別れたはずだったヨウジが小走りで近づいてきた。
少し長い距離を走ってきたのだろう。息を切らしたショーゴは、一度深く呼吸をすると、再び口を開いた。
「なんか、都庁、やばいのいるらしいですよ!? なんかでっかい蝶みたいな、蛾みたいなバケモンがいるらしいです!!」
「……いきなり、何、言ってんだ?」
頓知気なことを言い始めたショーゴに眉を潜めていると、ヨウジが重ねて口を開いた。
「……さっき言ってた繭です。やっぱなんかの繭だったらしくて、孵化なのか……やべえのに変わったらしいです」
「……は……え?」
「……あのキーパー、まだ残ってるならやばいかもしれないです」
*
暗い。
真っ暗だ。
右も左も、上も下も分からない場所に私はいる。
ああ、起きなきゃ。起きて戦わなきゃ。
けど、身体が動かない。
むしろ、ここが夢なのか現実なのか、そもそも私はどこにいるのか、何も、分からない。
「……おーい、起きなよ、キーパーさん」
「……」
「おーい! 起きろーーーーー!!」
「っ……な、なに……?」
「あー、やっと起きた」
ぼんやりとした意識が、徐々に覚醒していく。
背中に、ごつごつとした感覚を感じた。
右手に力を込めると、徐々に視界も鮮明になっていく。
だが、目の前は相変わらず、暗くて、遠くに窓……らしきものから差し込む光と──
そして、目の前に誰かが、いた。
「大丈夫? ……って、大丈夫じゃないか。早く起きたら? ここ、危ないんだし」
「っ……」
そこにいた少女の姿に目を疑う。
少し緩く着た長袖。黒のキャップ。肩口まで伸ばした黒髪に、鎖骨から見える青光りした結晶。
「な、んで……」
「ずっといたけどね。ピンチみたいだったから出て来ちゃった」
そう言いながら彼女は心配そうに私を見下ろしている。
「私も多分すぐ消えちゃうだろうからさ。早く起きて」
「っ……う、そでしょ……」
「あたしも夢だと思ってる」
今まで横たわっていたのだろう。上半身をむくりと起こすと、額を刺すような痛みが走る。
「アトリ、さん……」
彼女に左手を伸ばそうとすると、左上腕から指先まで激痛が走った。
「っ────!!」
その痛みに、再び体を横たえてしまう。
「ち、ちょっと大丈夫っ? まあー……ビル一階分落ちたからね」
「……どうして、いるん、ですか? あなたはあの時……」
「分かんないや。あたしも結晶体にやられて死んじゃったと思ってたんだけど、気づいたら車の中でうなだれるキーパーさんの隣にいて、ずっとついて来てた。キーパーさんが来てくれた時に死んじゃってるのは事実だから……うーん、幽霊、みたいなもんなのかな」
「っそんな、もう少しましな嘘を……」
「だってキーパーさんじゃん、あたしを看取ってくれたの」
「……」
そうだ、あの時アトリさんは、結晶と化した。それは事実なはずだ。
「ま、いんじゃない? あとごめん、先に伝えとくんだけどさ」
アトリさんはそう言うと、私の右手に手を伸ばす。そのまま、手の甲に触れる、はずだった。
「あ、あれ……」
「そういうことだから。だから幽霊みたいなもん、って言ったの」
すり抜けていく。アトリさんがどう触れても、私の身体をすり抜けてそのまま突き刺さるようになってしまう。
「……結晶化、関係あるのかなあ。結晶体って、あたしたちが知らない秘密がまだまだあるのかもね」
アトリさんが教えてくれた。あの時、私は未知の結晶体が放つ爆発に巻き込まれたこと。その時に床が落ちて、そのまま私は下の階に落下したこと。……そして、他のキーパーは、撤退し誰も都庁にはいないこと。
「私もあの結晶体の今の様子は分かんないけど、上からずっとごうごう音は鳴ってたから、早く離れたほうがいいと思う。動ける?」
「っ分かんないですけど……動くしか、ないですよね。頑張ります」
「ごめんね、あたし、支えらんないから」
「アトリさんが謝ることじゃないです。っ……左手、骨折、してるかもですね」
足はどうやら動く。右手も大丈夫だ。ただ、落ちた時に左手をついたのか、全く動かなかった。全身も痛いし、特に額を何かで切ったのだろうか、ずくん、ずくんと脈打つように痛みが走っている。
「っ……外に出ます。私たちが突撃した時と状況が変わらないなら、周囲に結晶体はいないはずです。……都庁内にはあいつがまだいるはずですから、早く離れたほうがいい、です」
「……無理、しないでね。今のあたし、キーパーさん以外には見えないみたい。結晶体が来てないかは見回れるから」
「ありがとうございます。大丈夫ですよ、私、頑丈ですから」
心配そうに私を見つめるアトリさんに笑いかける。ただ、正直身体の状態は悪い。全身が悲鳴を上げていた。
壁に右手をつき、足に力を込める。
念のため、腰に手を当てる。ごつごつとした、無機質の塊の感触がある。
エンドゲイザー。ちゃんと、銃も警棒もナイフもある。
「行きましょう、アトリさん」
階段も案の定、ひどい有様だ。
上から落ちてきたであろう瓦礫で足元が悪いが、なんとか下へ降りる通路は塞がれてはいないようだった。
ライトで足元を照らしつつ、慎重に進んでいく。
「っはあ、はあ……」
視界がぼやける。正直、歩いてはいるが限界が近づいている。
足に力が入らないし、頭も痛いし、左腕は相変わらず激痛が走っている。
「っキーパーさん……」
一階に降りると、少し開けた場が現れる。
「っごめんなさい、ちょっと、休憩して、いいです……か」
そう言い切る前に、私の身体はずるりと床に伏してしまう。
「っちょっと、キーパーさん! キーパーさん!!」
耳元でアトリさんの叫ぶ声が聞こえる。ああ、この子、こんな大きな声出せたんだな、と、この場にそぐわない様な考えを巡らせてしまう。
「大丈夫、です……ちょっと休んだら、起きれます」
「っ大丈夫に見えないよっ……」
徐々に泣きそうな声に変わっていく彼女を心配させまいと、私はずるずると身体を引きずり、階段の手すりに背中をつける形で腰かけた。
「っほら、全然、動ける、でしょ」
「顔、真っ青だよ……」
「大丈夫です、ほんとに、ちょっと休んだら、動けます」
「っごめん、全然、力になんなくて」
「そんなことないですよ、現に気絶してた私を起こしてくれたの、アトリさんじゃないですか」
そう言いながら、私は触れることのできない彼女に手を伸ばす。
するりとすり抜けてしまう頬になんとか触れようとするが、やはりできない。虚空を切った手の行き場がなくて、私は拳を握りしめた。
「絶対に死にません。生きて帰ります。早く戻って……皆さんを守らないと」
そんな言葉を口にした時だった。
遠くて、何かが聞こえた。
「っ! ……今、何か」
「なんか、走る音、聞こえる……」
結晶体か。まず疑うべきはそれだろう。
私は腰に下げた電子手帳で分布を探ろうとする。
だが、爆発に巻き込まれ、落下もしたせいか、電子手帳の画面はバキバキに割れ、電源こそつくが画面はつかない状態だった。
耳を澄ますと、確かに、遠くから何かが走ってくる音が聞こえる。あと……人のような、息遣い。
「アトリさん、私の後ろにいてください」
そう言うと、私は壁に背中をつけたまま、腰に下げた銃型のエンドゲイザーを構える。左手は使えないままだったが、照準が固定されるように構える。
気配の先へそれを向ける。まだ、音の本体の行方が分からない。
引き続き、照準を合わせる。
──はあ、はあ……由宇!
ふと、私の名前を呼ぶ声が聞こえた。その声は、アトリさんにも聞こえたようだった。
「今、キーパーさんの、名前、呼ばなかった?」
「……そう、ですね」
困惑しながらも、私は照準を合わせ続ける。
「っ由宇!」
その声には、聞き覚えがあった。
新宿第二シェルターで散々聞いた。話すたびに温かくて、優しい気持ちになる、あの人の。
「え、なん、で……?」
思わず銃を構えたまま、呆けてしまう。十メートルほど先だろうか。そこにいたのは、結晶体でも動物でも、何でもなかった。
金髪の長髪を纏った、身を構えるような美貌の女性。
「っ由宇、由宇!」
彼女は私のそばに来たと思うと、片膝をつきすぐに上半身を抱く。
温かかった。
「っ良かった……ほんとに、良かった……」
「なん、で、っえ?」
そこにいたのはシエラさんだった。抱かれた状態だったが、息遣いは荒く、ほんのりと汗をかいている。
「っ生きてたんだね、良かった……」
「あ、あの、どうして、ここに……」
「っ都庁にやばいのがいるって聞いて、あんたが危ないって言われてたんだ。だから……」
「っまさか、シェルター、無断で抜け出したんですか」
「そんなこと、言ってる場合じゃないだろ。……て、あれ、あんた、後ろの子、誰?」
「っへ?」
「へ? じゃなくてさ。あんたよ」
シエラさんは、私の身体を抱いたまま、アトリさんのほうに目を向ける。
アトリさんは目をきょとんとし、その後慌てたように身じろぎした。
「……あたしのこと、見えるの?」
「いや、見えるって……あんた、何言ってんの? ……第二シェルターの子じゃないよね。第一シェルターの子?」
「あ、いや、あたしは……渋谷の……」
「渋谷!? なんで渋谷の子がこんなとこにいるの!?」
「あ、えっと……その……」
「と、ともかく、あんたが由宇をここまで運んでくれたの? 事情は分からないけどありがとう」
そう言いながらシエラさんはアトリさんに微笑む。
「キーパーさん、この人……本郷シエラに似てるね。めっちゃ美人」
「本物だよ」
「……は?」
シエラさんのその言葉は、余計アトリさんを混乱させてしまう。
「……あたし、小学校の時めっちゃ聞いてたんだけど。ドラマの主題歌とかやってたし。友達も服装真似してた」
「あーやったね。カラーズの主題歌のこと? あれ、けっこう内容大人だったと思うのに聞いてくれてたんだね、嬉しいよ」
「……ヤバ。キーパーさん、そんな人と知り合いだったわけ? 本郷シエラなんて超有名人じゃん」
「ちょっと、やめてよ。私なんてただの新宿の一般住民なんだからさ。あんた、名前は?」
「……藤沢 亜都理」
「アトリちゃんね。あんたがここにいる理由は後で聞くけど、とりあえず、この怪我人を運ぶのが先だね。手、貸してもらえる?」
「……あ、いや、その……」
「? どったの?」
「……シエラさん、その子に触れてみてください」
アトリさんはシエラさんに近づき手を伸ばす。すると案の定私の時のように、肩に触れようとした手はすり抜けてしまう。
「っはあ!? え、幽霊!?」
「……幽霊みたいなもん、かな。あたし、渋谷で結晶体に襲われて、死んでいるはずなの。その後気づいたらキーパーさんのそばで目を覚まして……そこからずっとついてきてるんだけど」
「……非現実すぎる。けど……実際由宇も私も見えてるから、ねえ……」
少しの間うんうん考えた後、シエラさんはアトリさんに向きなおす。
「ま、いいや。由宇にも私にも触れないってことね。それにあんたもシェルター、ついてくるんでしょ?」
「……キーパーさんが無事帰れるまでは一緒にいたいかな」
「分かった、一緒に行こう。ここまで運よく結晶体とは遭遇しなかったけど、結晶体はいると思うし……やばいのが今どこにいるのかは分かんないから、慎重に進もう」
「……うん。あの、本郷、さん」
「ん?」
「シェルターに戻ったらサイン、もらえない?」
「おいおい、触れないんじゃないの?」
「……そうだった」
──ごう、ごう。
遠鳴りするような音。都庁内で響いているようだ。
「……さっきの結晶体っ……」
上の階から響いている。まだいるんだ。
ごうごうという音が徐々に近づいてくる。音が近づいてくるのが、異常なまでに早い。こちらに、気づいている。
「っ由宇、私に捕まって。逃げるよ!」
「っだめ、速すぎる!!」
シエラさんが私の脇を抱えて立ち上がろうとした、その時だった。
まるで、解体工事の現場を耳元で聞いているような、とんでもない轟音。
私たちがいる吹き抜けから、けたたましい音を立てて何かが降りてくる。
背筋がぞくりとする。そこには、あの時私が見た、繭のようなものとは全く違っていて──
透き通るような青を纏った、巨大な蝶。
「っまじかよ……」
天井が落ちた時に纏う硝煙が、私たちの視界を邪魔するが、煙の先にでも見えるそれは、あまりに大きくて。
綺麗とさえ、思った。
その後、訪れた感情は、一抹の恐怖。
対峙してはいけないという、拒絶の感情。
「シエラさん、走ってください!! アトリさんはなんとかついてきてください!!」
「っあんた、走れるの!?」
「気合いで走ります!!」
地面を蹴り上げ、抱えられていた脇の腕を掴み私は走り出す。
だが、全身の激痛で、うまく走れない。視界がぐらつき、自分が真っすぐ走っているのか、それすら分からない。
それでも、シエラさんが私を抱えるよりは速いはずだ。早くあいつから距離を取らないと。逃げないと、私もシエラさんも死ぬ。
「っキーパーさん!」
アトリさんの声に背後を一瞥すると、口のあたりに、何かエネルギーのようなものを溜めていた。
まずい。あんなのくらったらたまったもんじゃない。
「っ!!」
右手につないだシエラさんの手を放し、脇を抱きかかえる。そのまま勢いをつけて左に進路を蹴り上げた。
その刹那──
閃光のような、ビームのようなものが照射され、勢いよく爆発する。
耳の奥まで揺れるような轟音が、私を襲う。
蹴り上げた勢いで、私はシエラさんを片腕で抱きかかえたまま横転する。
「っ……」
再び全身に激痛が走った。それに、先ほどの爆発によって、平衡感覚が奪われる。横たわっているはずなのに、全身がぐらぐらして、全く体に力が入らない。
だが、この感覚が、私がまだ生きているんだという感覚を知らしめていく。腕の中にいるはずの彼女は無事だろうか。
「っ由宇! しっかりしてっ!」
ああ。大丈夫、みたいだ。だが、腕の中にいたはずの温もりはなくて、泣きそうな目で私を見下ろしている。
多分、シエラさんが、動けなくなった私を抱き起している。逃げないと。早く、この人を、安全な場所に連れて行かないと。
なのに、身体が動かない。結晶体からはまだ離れられていない。このままじゃ、この人が危ない。
「っ逃げて、ください」
「っあんたを置いて、行けるわけがない!!」
脇に視線を向けると、灰色の床材は、真っ白な色に変わっている。きっと結晶体の先ほどの攻撃の影響だろうか。
シエラさんは大丈夫、なんだろうか。私も耐性があるとはいえ、無傷ですんでいるのだろうか。自分の状況ですら、把握ができない。
ぼんやりと見えている彼女は、変わらずに美しい顔をしている。怪我も、結晶化もしていない。
「……私、動けないですから。シエラさんは、無事で、いてほしい、から」
「っこんな姿の妹、置いていけるわけ、ないでしょ!?」
……え?
その言葉に、耳を疑う。
「やっと会えた大切な妹を、あんな結晶体に奪わせるわけにはいかない」
「……何、言ってるんですか……」
困惑する私には気を留めず、彼女は私の脇を抱え、立ち上がろうとする。
「っ……帰ろう、由宇……まだ、あんたと話したいことが、私はいっぱいあるんだ」
「え……? シエラさんが、はるか……? おねえ、ちゃん?」
「っ本郷さんやばい! まだ来る!!」
アトリさんが叫ぶ。後ろからまた、ごうごうと嫌な地鳴りのような音がする。
それと同時に、私は腰から銃を抜いていた。
───────!!!!!!
結晶体に向け、右手で引き金を引く。照準は合わないままだったが、運よく、やつの体に弾道が合ったようだった。だが、核には届いていないようで、動きを止められない。
耳をつんざくような、不快な金切り音が響く。
「っ……行って、ください……お願い……」
「由宇はお姉ちゃんが守るって約束した、置いてなんていかない。もう独りになんてしない」
「っ……どうして……どうしてその言葉を……」
彼女の言葉を聞けば聞くほど、声がどんどんつっかえていく。聞けば聞くほど私の知っているあの優しくて大好きなあの人と一緒で。たまらなく胸がいっぱいになる。
「お姉ちゃんがそばにいるって、迎えに行くって約束したんだ。だから離すわけにいかない。あんたをここで死なせるわけにいかないんだ」
「っいや、だ……私、お姉ちゃんに生きていて、欲しくて……」
───────!!!!!!
金切り音はまだ響く。もう、逃げられない。
けど、この人だけは、この人だけは死なせるわけになんかいかない。
守らなきゃ、大好きな、大切なこの人を──
もう力が入らない右手に意識を向けた、その時だった。
「っ三島っち! そこ動かないで!」
遠くで男性の声が聞こえた。その数コンマの後、巨大な核の部分がパキッという音をあげ、蝶の化け物は再びけたたましい金切り声をあげる。
「っでかすぎませんあいつ!?」
「わめくな木村ぁ! 三島と本郷さんに絶対攻撃させるな!」
「任せてください! 俺にライフルを持たせたら勝てるやつはいませんよ!」
都庁入り口から、何本もの閃光と、人の声が聞こえた。
その一つ一つが、知っている音、知っている声だった。
その音は、どんどん私たちに近づいてくる。
「三島さん、あとは俺たちに任せてください」
加藤さん。木村くん。同期の中でもガードナーに配属された、戦闘においてエリート中のエリートの二人。
「加藤、俺の銃じゃ外殻を壊せない、頼む!」
加藤さんは私の傍らで六尺棍を右手に抱え、槍投げのような体制をとる。
「ああ」
視線の先では、蝶の結晶体が核を守るように羽を震わせている。
「無駄だ」
短く告げ、踏み込む。
地面を蹴る音が、やけに大きく響いた。
次の瞬間、加藤さんの身体がしなやかにしなり、右腕が大きく振りかぶられる。
「はっ——!」
槍投げのように棍が放たれた。
空気を裂く低い音。
結晶の羽が反応するよりも早く、投擲されたそれは一直線に飛翔する。
バキン、という粉砕音。
羽を突き破り、核の表面に走る無数の亀裂。
蝶の化け物が、金属を引き裂くような悲鳴をあげる。
「っ俺たちが止めるんで、三島っちを!」
木村くんの声と同時に、さらに鋭い銃声が重なる。
閃光が走り、亀裂の一点を正確に撃ち抜いた。
「おい三島ぁ。生きてるか?」
銃声の中聞こえるぶっきらぼうな男性の声。よく知っている、私が最も尊敬する人の声だった。
ガードナーの腕章をつけた、腕っぷしも強くて、キーパーの憧れでもあるその人。
誰もがその背中を追いかけていく、キーパーの誇り。
「中西、さん……どうして……」
「俺たちがあいつを潰す。お前はシェルターに戻れ」
「三島!! 本郷さん!!」
矢継ぎ早に女性の声も聞こえる。蔵田先輩だ。
「すまない、遅くなった。私たちはここから撤退する」
少し間を置いて、蔵田先輩は再び口を開く。
「本郷さん、あなたは戻ったらこってり絞られてください」
「…………はい」
「……ご無事で良かったです、三島は私が運びます」
蔵田先輩に抱き上げられた。
「本郷さんは動けますか?」
「大丈夫です、由宇を……お願いします」
「一緒に戻ります、走ってください!」
全身を包む温かさに安心したのか、眠気が増していく。ああもう、こんな時に寝てる場合じゃないのに。
──っアトリちゃん、あんたも
──……アトリ? まさか、まだ住民がいらっしゃるんですか?
──あ、いや……こちらの話です
目を瞑った中で聞こえたやり取り。
ああ、戻ったらアトリさんにもお礼を言わなきゃ。いや、そもそもシェルターまでついて来られるのだろうか。
そんなことを考えながら、私の意識は闇に包まれていった。
*
三島 陽香。私が生まれた時に授かった名前。
私が生まれた三年後に、妹の由宇が生まれた。赤ちゃんの頃からよく泣いて、おしゃべりが出来るようになってからも、ころころ表情を変える。笑ったと思ったら、ちょっとしたことでびーびー泣く子だった。
私ができないような屈託のない笑顔でお姉ちゃんと呼んでくれて、いつも私の手を繋いで笑う。
泣くし笑うし、本当に忙しい子で。
本当に大好きだった。自衛隊だったお父さんはあまり家にいなかったけれど、帰ってきた時はたくさんお話したし、お母さんと、由宇が一緒にいれば、それで幸せだった。
なのに。
「……本郷さん、そろそろあなたもお休みになったらどうですか? 三島の容体はもう安定していますしそのうち目を覚ましますから」
「……分かってます、けど……由宇が起きた時に、目の前にいてあげたくて。それに、ちゃんと話もできていませんから」
「……三島ですが、おそらく動けるようになったら立川支部に送還されます。……ガードナーと一緒に私はここにとどまることになりますが」
「……ありがとうございます、新宿を守ってくれて」
あの後、応援に来たガードナー部隊によって、あの巨大な蝶の結晶体は殲滅されたらしい。数名しかいなかったように思えるのだが。
噂に聞くキーパー最強の結晶体殲滅部隊。その力は圧倒的だった。
そして目の前でベッドで眠る、記憶の中よりずっと大きくなった妹。今はキーパーで、私たちのような無力な人間を守ってくれている存在。
「……勝手にシェルターを抜け出したことは反省しています。けど……この子を、放っておけなかった」
「……三島には、伝えられたのですか?」
「……目を覚ましたら、ちゃんと伝えようと思います。……ごめんなさい、せっかく機会を作ってくださったのに、由宇が覚えていないかもと思って……怖くて言えませんでした」
「けど、三島はちゃんと覚えていたんでしょう? ……起きるまでそばにいるつもりなら、今度こそ伝えてください。三島はずっとここにはいられないのですから」
「……ありがとうございます」
「三島が目覚めたら医師を呼んでください。……私は失礼します」
蔵田さんは一礼すると、がらりと扉を開け病室を後にする。
真っ白なリノリウムの床。私と由宇だけがいる、風通しの良い病室。
そこにぽつりと残された、私と、すうすうと眠る妹。
たまらず私は眠る由宇の頭を、そっと撫でた。
「良かったね、本郷さん。……キーパーさんのこと妹とか言い出した時はさすがにびびったけど……こんな奇跡、あるんだね」
「……状況を飲み込み切れてないのは私も同じだよ。……小さい時に離婚で別れた妹と、こんな終わった世界で再会するなんて普通思わないでしょ?」
どこに潜んでいたのか、アトリちゃんはいつの間にか私の傍らに立っていた。都庁で会った時と何も変わらず、触れられることもなく、息遣いが聞こえるわけでもない。ただそこに存在するだけの少女は、私のそばでくすりと笑う。
「……アトリちゃんは、この後はどうするつもりなの?」
「あたし? ……うーん、キーパーさんいつ起きるか分かんないし、けど目が覚めるの待ってたらちょっと時間無さそうでさ。歩いて渋谷に戻ろうかなって思ってる」
「……時間がないって……」
「あたし、幽霊みたいなもんなんだよ? 見て」
そう言うと、アトリちゃんは右手を差し出す。その手の先からは、ふわふわと白い塵のようなものが待っていて、指先が霞んでいて、透けていた。
「……そもそもいちゃいけない存在なんだしそりゃあ消えるよね。昔アニメで見た展開みたいだ」
「……っ……」
「ほんっと、姉妹って感じ。……その顔、キーパーさん……いや、ユウさんにも向けられた」
下唇を噛んでうつむく私に、アトリちゃんは苦笑いをする。
「ユウさんにも伝えておいてくれない? ありがとうって」
しばらくうつむいた後、私はふるふると首を横に振り、アトリちゃんの方向に目を向ける。
「……あのさ、最後に、本郷シエラって芸名だよね? 本当の名前って教えてもらえない?」
茶化すようにアトリちゃんは口を開く。
「……本田 陽香」
「ハルカさん。元気でね」
そう言うと、アトリちゃんは私に背を向け歩き出す。
「……できるだけ遠い未来に、また逢えればいいな」
「……そう、だね。出来るだけ延命した先の未来で」
「ばいばい、ハルカさん」
振り返ると、そこには真っ白な床と、ウッド調の開かれた扉だけが残されていた。
その時、だった。
「……ん……」
傍らで、声が聞こえる。
ベッドに目を向けると、薄目を開けた由宇が、こちらを見ていた。
「……あ、陽香、お姉ちゃん、おはよ」
そう言いながら、由宇はにへらと笑う。
「っ……あ……」
ああ、だめだ。
泣くつもりなんて、無いのに。
その声で、その名前を呼ばれたら。
「っお、お姉ちゃん? どうしたの?」
泣きだした私を見て覚醒したのか、慌てて体を起こした由宇に肩をそっと抱かれた。
「っごめん、由宇が、由宇が目の前に、いると思ったら」
止まらない。ぽろぽろと、堰を切ったように、感情が止められなくなる。
「……ああ、お姉ちゃん、なんだ」
由宇は相変わらず左手は動かないようで、右手で背中を抱きとめられる。
「大丈夫だよ、私、ここにいるから」
──大丈夫だよ、お姉ちゃん、ここにいるからね。
その言葉は、小さい時に、夜中に泣きだした由宇に投げかけていた言葉。
「ただいま、お姉ちゃん」
その温もりは、今の私には痛いほどで、それでも優しかった。
第四章 エンドゲイザー
「……当たり前だけど、本郷シエラってまじで歌上手いですね……生で聴くとえぐいですわぁ……」
同じガードナーのチームであり部下である木村は、広場の見回りをしながらそう呟く。
都庁の巨大結晶体を掃討してから三日が経過した。あの後だが、歌舞伎町から西新宿のあたりの結晶体が激減し、新宿の危機のために招集されたキーパーも俺たちガードナーも、新宿のシェルターでしばらくの待機が命じられた。
まあ、ガードナーは別地区への招集があれば即座に向かわなければならないし、明日には唯一負傷した三島は立川支部へ送還されるが、俺達には待機という名の少しの暇が与えられた。
その様子が耳に入ったのか、突然本郷シエラが広場でライブをすると言い出したのだ。それに、わざわざ拠点に来て良かったら見に来いと声をかけられた。普段は住民との過度な交流は禁止されているが、シェルターの住民の生活を見ることは良いことなのではないかということで、巡回以外のキーパーも数人、集まることになった。
広場にはたくさんの住民が集まっていたが、そこの中心にいるのは、今回の結晶体掃討で死ぬか生きるかの経験をしたキーパー、三島だった。
「ほらこっち! 遠慮すんなよ!」
「い、いや……住民の方のための本郷シエラのライブですから……私がこんなところで見るわけには……」
「……シエラさんの妹ならちゃんと見ときなよ。俺たちが前で見て良いって言ってるんだから」
俺たちが帰還した後は、あっと言う間に三島が本郷シエラの実の妹ということが噂で広まり、住民の見舞いの訪問が途絶えなくなったらしい。
「いやー本郷さんの妹ってことを抜きにしても、三島っちって人に好かれますよね。それに頭も良いししっかりしてるし、性格も良いし……ヒヤマさんも素敵だったけど……よく考えたら三島っち、いいかもしれない……一応同期だし、支部で会えるし」
「……木村、まじでぶん殴るぞ」
「手は出してないんだから許してくださいよ、こんな終わりに向かう世界で俺の恋愛思考まで制限されたらやってらんないです」
へらへらとしながら木村はそんなことを言う。
「良かったですね、三島っち。俺の家族はもうどうなってるかも分かんねえから羨ましいです」
「この世界のだいたいの人間はそうだろうよ」
ふうと息をつきながら、本郷シエラの歌声に耳を傾ける。
力強く背中を押すような抒情的な歌声。それを間近で聴く、二十年もの間別たれていた家族。
「この世界には贅沢過ぎるプレゼントだな」
先ほどまでぼんやりと本郷さんの歌声を聞いていた加藤が口を開く。
「……三島さん、明日には立川に帰還するんですよね。……残りたい、とか思うんじゃないですか?」
「……どうだろうな」
ふと、電子手帳のアラームが鳴る。
俺と木村は電子手帳を確認し、本部から回ってくるメッセージを確認する。
メッセージが一件。明日からガードナー第一部隊は秋葉原の結晶体討伐に向かうとのことだった。
「……暇にはならねえな」
「ですねえ。ま、頑張りましょう。俺たちは最強のガードナーなんですから」
能天気に笑う木村の横、つられて俺と加藤はふっと笑った。
*
結晶体に襲われて塵と化した時と変わらず、そこにあるあたしの家。
今となっては周りに人間の脅威となるものが蔓延り、危険区域となった渋谷の神泉地区。けれど、この世界の何者でもなくなった今のあたしは、何の脅威に怯えることもなくここにいる。
結晶体にはたくさんすれ違ったけれど、そのどれもがあたしを認識することはなかった。
「あたし……ほんとに何にも見えてないんだなあ」
新宿から家まで歩いてきたけれど、疲れも残暑の熱も、何も感じない。ただそこに佇むだけの亡霊になったあたし。
「……」
自分の手のひらを見つめる。手の先が透けて、うっすらと割れたコンクリートが見えた。
それに、足先も、もう見えなくなっている。
きっと、もうすぐあたしは消えていく。
「……なんか、不思議な体験しちゃったなあ」
結晶病になってからいずれは覚悟はしていた現実。けど最期は結晶病でなくて、結晶体に襲われた。それを看取ってくれたのは、一週間そこらしか話したことのない、あたしより一回り年上の軍人の女性。
今となって覚えているのも、その人が最後に抱きしめてくれた腕の温もり。
「……ほんとお人好しだったなあ」
結晶体が増えた時に何かあったのだろうか。あたしの家の扉は真っ白になっていた。普通の人間がそれに触れたら結晶化が増長する。
今のあたしは、そんな扉もすり抜けて中に入ることができた。
少し空けた家の中。何も変わっていない、何も残っていない、何よりも大切だった場所。
大切な人ももういなくなってしまった場所だけど、最期にいたいと思う場所はここだった。
あたしは、いつ消えるのだろう。けれど、確実に永くない。
だから残された時間をここで過ごしたいと、そう思った。
「……」
壊れきった世界なのに、窓から見える空は痛いほどに青い。
あたしはこれから、この空に溶けていくんだろうか。
いなくなった後は、お母さんとお父さんに会えるんだろうか。いや、そもそもあの世なんてものがあるなんて分からないし、あたしがお母さんとお父さんと一緒の場所に逝けるなんて分からない。
「……」
どうしてだろう、渋谷シェルターにいたときはずっと独りで過ごしてきたのに、ずきりと胸が痛む。
「……」
ただ、願うなら、もう独りじゃないんだよって言ってくれる誰かがいて欲しかった。
独りは、やっぱり。
「……あ、れ」
リビングにあるテーブルに目を向けると、白い紙が置いてある。
「……っあ……」
そこに書かれてあったのは。
「……ほんっと、律儀だなあ。ユウさん……」
あの時ユウさんがあたしに渡した、メッセージカード。
おそらくあたしが消えた後に、あたしの家に置いていってくれたんだ。
「……勝手に持ち出したらだめって言ってたのになあ……」
そう言いながらあたしは笑う。
あまりにお人好しで、真面目で、あたしにないものをたくさん持っていた人。
「そうだね、感情移入しすぎるのは心配だが、人と積極的に関わらない亜都理には見習ってほしい人だったな」
突如聞こえた男性の声に、あたしはびくりとする。慌てて振り返ると、そこにはよく知っている影が二つ見えた。
「どうして、ここに……」
「それは亜都理も一緒じゃないかな」
そう言いながら、キッチンの椅子に座ったパパとママは笑う。
「あの人には私たちは見えなかったけれど、ずっと見ていたわ」
「……ユウさん、何か言ってた?」
「助けられなくてごめんなさいと何度も」
「……ユウさんのせいじゃないのに……あたしが勝手にシェルターを抜け出して、勝手に結晶体に襲われちゃっただけなのに……」
「私たちが亜都理を待てたのも、あの人のおかげかもしれないね。私たちと亜都理を繋ぎとめるものは、今となってはこの誕生日に送ったカードしかなかったのだから」
「……なんか、信じられないことばっかり。パパもママもあの時いなくなっちゃって、あたしだって結晶体に襲われて体ごとなくなっちゃったのに」
メッセージカードに手を伸ばそうとしたが、その手を引っ込める。どうせ触れられないのだから。
「……あたし、パパとママと一緒に、行けるかな」
「そのために私たちは戻ってきたんだよ、亜都理」
パパとママは椅子から立ち上がる。そしてあたしが佇む場所の目の前で、手を伸ばす。
「……あ……」
キャップ越しにふわりとした感触を感じた。ママが、あたしの頭を撫でていた。
それがあまりに温かくて、切なくて、苦しい。
「行きましょうか、亜都理」
ママに手を引かれ、あたしは歩き出す。
どこに行くのかは分からないけれど、もう何も怖くはなかった。
これで、やっと──
「誕生日おめでとう、亜都理」
*
「誘ってくれてありがとう、お姉ちゃん」
「ん」
ライブが終わり人も掃けた頃、お姉ちゃんに声をかけられ私は人通りの少ない路地裏でお姉ちゃんと横並びのベンチに座っていた。
お姉ちゃんは差し入れの配給缶コーヒーを飲む。私にもと差し入れられたが断った。私は軍人であり、慎ましく暮らしているシェルターの人と一緒にはなれないから。
きっと、隣にいるシェルター住民である姉と話すことも本当は許されないんだろう。けれど、立川に帰還するまでは好きにしていいと言われていた。
「お姉ちゃんが芸能人になってたってことが一番驚いたよ。そんな素振り全く無かったじゃない。いつから考え始めたの?」
「……由宇と別れてすぐだよ。私は早く自立して、由宇を迎えに行くことしか考えていなかった。お母さんだって反対していなかったし」
「……そっか……」
「……ま、忙しくなりすぎて迎えに行けなくなっちゃったから本末転倒だったけどね……」
そう言いながらお姉ちゃんはため息をつく。
「あんなに泣き虫だった妹が、まさかキーパーになっているなんて思うわけもない」
「……お父さんに憧れてたし、ほんとは陸上自衛隊になるつもりだったんだ。けどキーパー適性試験で私に高い結晶耐性があることが分かってキーパーになったの」
「そっか。ほんとに……変わったね」
「お姉ちゃんもだよ。すっごい美人だし最初分からなかった」
「もっと早く気づいて欲しかったわ」
「それは悪かったって思ってるよ。というか、言ってくれれば良かったのに」
「離婚した時はあんたは五歳だったし、私のことを覚えてなかったらと思ったら怖くてね」
「お姉ちゃんのこと、忘れるはずがない」
それからは色んな話をした。
私が群馬のおばあちゃんの家に行った後のこと、お姉ちゃんがオーディションを受け始めた頃のこと、私はハンドボール部に入って部活に明け暮れていたこと、お姉ちゃんは高校在学中に芸能デビューしてあまり学校に行けなくなったこと……。
学生生活を謳歌していた私とは真逆の生活をしていた陽香お姉ちゃん。そうなった原因の一つが私にあると思ったら、少しだけ胸が痛くなる。
そして、お母さんとお祖母ちゃんは関東の大規模な結晶体災害により行方が分からなくなり、私と同じくキーパーだったお父さんは殉職した。今となっては生死の分かるたった一人の家族になってしまった。
「由宇、明日にはいなくなっちゃうんだよね。準備はもうできたの?」
「準備も何も、身の回りのものなんてバックパックの中の非常食と着替えしかないから大丈夫だよ」
「……そう、左手、痛くない?」
「うん。骨折だから安静にするしかないみたい。治るまでは支部で事務作業とリハビリかな。利き腕じゃなくてほんとに良かったよ」
「……そっか」
吊られた私の左手を見て、お姉ちゃんは少し暗い面持ちで私のことを見つめた。その顔を見ているのが切なくて、私はわざとらしく明るい声で言葉を繋げる。
「大丈夫だよ! ビル一階分落ちても打撲と左手の骨折だけで済んだ頑丈さに感謝しなきゃ」
「……何それ、こっちは心配してんのに」
私の顔を見て、お姉ちゃんは口元を緩める。昔、私がびーびー泣いて、泣き止んだ後に見せてくれる顔と一緒で、懐かしい気持ちになる。
お姉ちゃんは缶コーヒーを地面に置くと、左手を私の頭に伸ばす。
ふわりとした、優しい温もりを感じた。
「……明日には、行っちゃうんだよね」
俯きながら、お姉ちゃんはそう呟く。
「……うん、そうだね」
「……行かないでほしいって言ったら、どうする?」
「……そうだなあ……」
頭を撫でる手を受け入れながら私は苦笑いする。
「……ずっとお姉ちゃんと暮らせたら、それはそれで幸せだよ。だって、大切な家族だから」
「っ……だったら」
その先の言葉を遮るように、私はお姉ちゃんの背中に右手を回す。
「……ずっと、一緒にいたいって、今でも思ってる。本当はね、ずっとこうしてたい。離れたくないよ」
「……」
震える私の手に気づいたのか、お姉ちゃんは私のことを、そっと抱きしめた。
お互いを抱きしめながら私は言葉を続ける。
「……渋谷でね、アトリさんに言われたの、誰かの明日を、守ってあげてって」
「……」
「ずっと一緒にいたいけど、私、行くよ。お姉ちゃんと、今まで出会った人たちの明日を守るために」
「っ……由宇……」
「会えて本当に良かった。今でも私が一番、大好きな人」
糸が切れたように、目の前にいる彼女は嗚咽を漏らす。
私も、彼女を抱きしめながら泣いた。
けれど、この人の涙が、これ以上零れないようにしたい。
私は、その力が与えられたんだから。
だから、今度こそ守り抜いていくんだ。
この青すぎる空の下で、また二人で笑い合っていられるように。
エピローグ
私、三島 由宇に新たに下された命令は、秋葉原シェルターの警備だった。
新宿第二シェルターから送還された後一か月は強制的に掃討任務は禁じられ、立川基地の事務作業をひたすら行っていた。その傍ら、リハビリと出来るトレーニングには励み、やっと任務への復帰を命じられた。
だが久々の復帰でいきなり結晶体討伐に復帰、というわけにはいかず、秋葉原シェルター内の警備、という形でキーパーの任務に復帰することになった。
「おい三島ぁ」
背後から聞こえたのは、私がキーパーの中でも敬意を払う男性の声。都庁での私の危機を救ってくれた、少しけだるそうに私を呼ぶ声。
「中西さん」
「今日から復帰か?」
「はい、警備ではありますが一生懸命励んできます」
「ま、気張りすぎんなよ」
「ガードナーは待機ですか?」
「ああ、今は、な。そうだ、蔵田は元気か?」
「蔵田先輩もお元気ですよ。秋葉原に一緒に行きますが、蔵田さんは掃討のほうです。私も早く復帰できると良いのですが……」
「リハビリ頑張ればすぐ復帰できるだろ。死なねえ程度にやれよ」
死なない程度に。この人はよくこの言葉を口にする。
自分は死ぬ直前まで追いやられることだってあるだろうに。けれどそれが、彼の目いっぱいの優しさであることも私は理解している。
「それにお前に何かあったら本郷さんが泣くぞ」
「気を付けます。姉をあれ以上泣かせたくはないですから」
そう言いながら私は苦笑いをする。
私は、腰に下げた銃に、そっと手を添えた。
無機質な冷たさを感じる。けれど、その冷え切った銃身こそ、私がこの世界で、力を振るうことができる証でもある。
私たちは、これからも進み続ける。
大事な人の明日を守るために。
この世界を守っていくために。
ENDGAZER 完